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フィリップ・ステッドマン 著 鈴木光太郎 訳

フェルメールのカメラ

──光と空間の謎を解く


A5判280頁

定価:本体3200円+税

発売日 10.09.30

ISBN 978-4-7885-1207-8

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◆科学技術と芸術はいかに出会ったか

みずみずしくも静謐な名画で知られる巨匠ヨハネス・フェルメール。その作品制作において、カメラの前身となる光学装置が利用されていたことを確かめようとする研究が100年以上も続いてきました。使っていたのか、それはどんな使用法だったのか。建築家ステッドマンは、画家の前に開けた17世紀の光学の世界をめぐり、制作空間の精密な計測を重ね、ついには彼のアトリエを復元することで、圧倒的な説得力をもってカメラ使用法を証拠付けます。天才は「カメラ」のもとでいかなる美の可能性をつかんだのか。フェルメールの謎に迫る最有力説の待望の邦訳。模型による名画の再現写真も必見です。

フェルメールのカメラ 目次

フェルメールのカメラ はじめに

ためし読み

◆書評

2010年11月、書標

2010年11月28日、日本経済新聞、宮下規久朗氏評

2010年12月8日、聖教新聞

2011年、週刊文春

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◆フェルメールのカメラ――目次

目  次
はじめに
謝辞
1章 カメラ・オブスクラ
2章 カメラ・オブスクラを用いたという発見
3章 カメラ・オブスクラを教えたのはだれか?
4章 描かれた部屋はどこにあったか?
5章 フェルメールの絵の空間を再現する
6章 謎に迫る
7章 フェルメールのアトリエを再現する
8章 反論に反論する
9章 フェルメールの絵の様式への影響
訳者あとがき
図版出典
さらに深く知るには
付録B フェルメールの部屋と家具の計測
付録A フェルメールの室内画に登場する建築的特徴

索引
  装幀―虎尾 隆


フェルメールのカメラ――はじめに

オランダの画家、ヨハネス・フェルメール(1632―75年)は、カメラ・オブスクラを用いて絵を描いた。本書では、彼がどのようにそれを用いたのかを正確に示そうと思う。カメラ・オブスクラというのは、写真用のカメラの前身で、ピンホール(針穴)の開いた、あるいはレンズのついた簡単な装置である。光景の像がスクリーン上に投影されるので、その像をなぞることができる。 フェルメールが絵の構図や描画技法を助けるものとして、もしくはそのヒントとして、ある種の光学装置を用いていたようだということは、あとで見るように、美術史家の間で広く共有される見解になっている。これまで研究者は、フェルメールのような傑出した技量をもった芸術家が、絵を制作する際に、カメラ・オブスクラを多用して輪郭のほとんどをトレースしたという考えをなかなか受け入れることができなかった。この躊躇は、写真が芸術たりうるかどうかという古くからの議論―もうとっくに決着がついた問題だと思っている人もいるかもしれないが―とも関係している。装置を用いて生み出される像を写しとることは、近代以前の芸術的技巧の基準からすると、能力のない者だけが頼る怪しげで不正な方法であるように見える。17世紀のオランダ美術における絵画の補助手段について概括するなかで、マーティン・ケンプは次のように述べている。

美術史家は全般的に、この証拠の意味を吟味したがらなかった。おそらくそれは、自分の好きな芸術家が一種のずるとみなされるものに頼っていたということが、あまりよいことではないように感じられたからだろう。

私は、フェルメールの場合にはこういった見方が的外れであり、歴史的にも適切でないと思う。カメラ・オブスクラは、新たに明らかになった光学現象の世界に芸術家が分け入ることを可能にし、どのようにしてそれらを絵として記録すればよいかを探究させた。ここで心に留めておかねばならないのは、17世紀の半ばに、レンズの助けを借りて絵を生み出すということそれ自体が、斬新かつ特権的なものであったということである。瞬間を写しとる現代の写真にそれをたとえることは、いずれにしても誤りである。絵を描くためにカメラ・オブスクラを使っても、それで制作の時間が短縮できたり、技術的に容易になったりするわけではない。むしろ、時間をかけた注意深い観察と分析が必要になる。さらに、室内にある対象をとらえる場合、カメラ・オブスクラは、芸術家に構図の制約を課さない。逆にそれは、構図を構成するプロセスそのものを助ける装置として使うことができる。モデルや家具をおいて、その位置を調整し、その結果生じる2次元の像への効果を判断できるのだ。ケンプは次のように述べている。「カメラ・オブスクラの使用は、絵の構想と制作の各段階における芸術的選択をまったく規定しない」。

私が本書に示すのは、フェルメールの作品を驚くべきものにしている光、色調、陰影、色彩に対する執着が、光学像のもつ特質の観察と分かちがたく結びついている、ということである。これを論ずる上で私がもっとも重きをおくのは、フェルメールの技法についてのすべての分析のなかでもっとも鋭く繊細な、ローレンス・ガウイングの分析である。1952年にガウイング(彼自身も画家だ)は、その分析を美しい著書として出版した。彼も、「フェルメールがカメラ・オブスクラを用いた」という見解をとった。しかし、ほかの美術評論家とは異なり、「カメラ・オブスクラによって現実を集めるにとどまらず、自分の様式を作り上げるということまでしたのは、フェルメールだけだ」と書いた。ガウイングがフェルメールの「説明の語彙」、「線の中断と否定」、「光学的公平さ」、なかでも「変わらぬ適切さ、その方法の一様な成功」と呼ぶものはすべて、カメラ・オブスクラのスクリーンに投影される光のパターンを時間をかけて入念に観察することにもとづいていた、とガウイングは主張する。

フェルメールがカメラ・オブスクラを用いたと主張した人々はこれまで、その証拠として、レンズによって生じるゆがみを模したような、特異な描写をあげてきた。たとえば、フェルメールは、特定の細部を「ピントをぼかして」描いたり、目では観察されずカメラを通してのみ見られるそのほかの効果を再現しているように見える。本書で提示する証拠は、これらとは異なり、絵の遠近法の幾何学的配列の分析にもとづいている。

証拠の詳細は複雑だが、議論の中心にあるものはかなり単純だ。フェルメールは、11枚ほどの絵を同じ部屋で描いているようなのだ。彼は絵を遠近法的に―その方法はともかく―きわめて正確に構成しているので、部屋の形や大きさをかなり正確に計測することが可能である。それぞれの絵について、理論上の視点―すなわちフェルメールが自分の眼をおいたと想定される空間内の位置―は正確に確定することができる。絵画自体のなかに見えるすべてのものは、「視覚ピラミッド」のなかになければならず、そのピラミッドの頂点が視点にあたる。このピラミッドの辺を構成する斜線の位置を決めることができるので、これらの線を後ろまで伸ばして、視点を通って画家の背後にある壁と交わらせる。こうすると、壁の上の四角の領域が決まる。少なくとも6枚の絵では、この四角はその絵の大きさになる。

このきわめて興味深い結果についての私の説明は、フェルメールが絵の視点にカメラ・オブスクラのレンズを位置させたというものである。彼は、この装置を使って、部屋の後ろの壁をカメラ・オブスクラのスクリーンとして使い、そこに光景を投影した。壁の上に紙をおいてトレースし、そしておそらくこの投影像をもとに絵の具を塗ることもした。つまり、絵が壁の投影像と同じ大きさなのは、フェルメールがこの投影像をトレースしたからにほかならない。

私が論じるのは、フェルメールがほかの実行可能な方法―少なからぬ数の評論家がこれまで示唆してきたように、遠近法的構図を構成するための伝統的な数学的方法や、鏡に映った像をトレースする方法―を採用したとするなら、この幾何学的一致を説明するのは困難だ、ということである。これに対して、フェルメールがカメラ・オブスクラを用いたと考えると、結果はごく簡単に、しかも無理なく説明できる。この説明の幾何学的性質には、特別な力がある。もしカメラ・オブスクラ説を退けるなら、フェルメールの室内画のきわめて独特な遠近法的構成の特性を説明する別の方法を考え出す必要がある。

ローレンス・ガウイングは、フェルメールの技法の光学的基礎の問題について、「実際にどのような装置を使ったのかは、推測の域を出ない。真実は眠ったままだ」と書いている。私は、少なくとも真実の一部を明るみに出すことができたと思っている。また、その際に、ガウイングがおそれたこと―フェルメールの絵を持ち出して、「いくつかのフェルメール研究が拘泥してきたお得意の話題に、またひとつ材料を与えるに等しいこと」―を避けられたとも思っている。私の目的は決して、「フェルメールという画家の研究」にあるのではない。また本書は、彼の全作品の技法や批評を包括的にあつかっているわけでもいない。ここでは、フェルメールの制作方法のひとつの側面だけをとりあげている。しかし、この側面は、それ自体がきわめて興味深い問題であり、しかも光の特性をとらえる彼の特別な能力に関わっている。