|
矢守克也 著 アクションリサーチ
| ||
|
10.06.25 978-4-7885-1203-0
|
A5判 288頁 定価3045円 |
◆行動する研究者のために◆ 「アクションリサーチ」は、私たちが直面している問題の解決に向けて、研究 者と当事者の人々とが共同で取り組む実践を言います。それは多くの場合、現 場での息の長い活動となります。本書は、「クロスロード」という防災ゲーム を媒体とした数年間にわたる防災研究や、阪神・淡路大震災の体験の語り部活 動を中核とした10年にわたる共同的実践について報告しながら、アクションリ サーチとはどのような方法なのか、その魅力と研究に伴う責任とは何か、それ を研究としてどう記述すればよいか、理論的基盤としての社会構成主義とは何 かについて、緻密かつ平明に述べた、人間科学の分野として日本で初めての、 待望の「アクションリサーチ入門」です。著者は、京都大学防災研究所教授。 |
◆アクションリサーチ――目次 1950年代のスウェーデンで実際に行われた人間の動線研究に着想を得た映画『キッチン・ストーリー』(ベント・ハーメル監督,2003年)は,観察する者と観察される者との関係を観察した(映像化した)作品である。ノルウェーの田舎に住む,年老いたひとり暮らしの男イザックの家に,スウェーデンの「家庭研究所」から調査員ファルケがやってくる。ファルケがここに派遣されたのは,「独身男性の台所での行動パターン」を観察する研究プロジェクトのためである。そして,台所の隅に,イザックを見下ろす奇妙な観察台(脚立のようなもの)が設置される。観察する者(ファルケ)と観察される者(イザック)との間には,「お互い会話してはならない」,「いかなる交流ももってはならない」などのきびしいルールが定められていた。このルールのためもあって,また,そもそもイザックがこの調査に同意したのがある勘違いからであったことも災いして,2人の関係はぎくしゃくする。 観察する者とされる者との会話を一切禁じた観察の不自然さ(ただし,科学を志向する心理学は,不自然どころか,まさにこのスタイルを観察の理想像としているわけだが)のために2人は苛立ち,観察される者(イザック)は観察する者(ファルケ)を妨害し,逆に,観察する者は観察される者を不必要に攪乱してしまう。挙げ句の果てに,観察されるはずの者が観察するはずの者を階上から覗き見て(観察して),その観察ノートにいたずら書きするに至って,この観察実践は完全に崩壊する。言いかえれば,この映画では,観察する視点と観察される視点が相互に浸食される様子が滑稽に―おそらくは,科学的な心理学(動線研究)への風刺をこめて―描かれる。ところが,この後,「客観的な」観察実践の崩壊ないし放棄と並行して,2人の間にはほのぼのとした交流が芽生え,やがて,それは静かな余韻を残して終焉する―。 『キッチン・ストーリー』は,心理学において,観察する者(研究者)と観察される者(研究対象者)の関係がもつ宿命をユーモラスに,しかし同時に,大変的確に描ききっているように思う。宿命とは何か。観察対象が,「物」ではなく「者」である心理学では,両者の間に完全なる一線を画すことは困難だというのが,ここで言う宿命である。『キッチン・ストーリー』が看破したように,一方だけが観察し他方は観察されるだけという関係は,いつしか,互いに他を観察する関係へと変容していかざるをえないのである。 たしかに,観察対象者に気づかれることなく―つまり,一見,観察者が観察対象者に何の影響も与えることなく―観察者が観察を遂行しうる事態を一時的に構成することは可能だろう。しかし,観察した結果が観察対象者にフィードバックされるステージ(たとえば,著された論文やレポートを観察対象者が読んだり,観察結果が既成の知識となって世間に流布されたりするステージ)までを視野に入れれば,観察対象者を含め人間一般が観察する生き物である限り,観察する者とされる者との関係性を完全に断ち切ることは究極的には不可能だと断ぜざるをえない。別の言い方をすれば,観察対象となっている実践(「独身男性の台所での行動パターン」)と,観察対象を観察するという実践(「独身男性の台所での行動パターン」を観察する実践)とを,混じり合うことなくきれいに分離することは不可能である。 以上のことは,心理学の研究実践は,濃淡の差こそあれ,好むと好まざるとにかかわらず,研究者と研究対象者(言いかえれば,観察する者とされる者)との共同的実践たる「アクションリサーチ」になってしまうことを示唆している。これは,けっして悲観すべきことではない。重要なことは,観察する/観察される関係から派生した,互いに他を観察する関係とは,互いに他になる関係だという点である。ファルケがイザック(ファルケによって観察されていることを知るイザック)を観察し,イザックがファルケ(イザックを観察しているファルケ)を観察するとき,ファルケはイザックになり,同時にイザックはファルケになっている。このとき,この相互のなりあい(相互互換する体験)は,この映画の後半部の展開が示唆しているように,ファルケによって観察される前のイザックのものでもない,イザックを観察する前のファルケのものでもない,第三の視点(第三の世界)を2人にもたらすのである。そして,この新しく誕生した視点(世界)こそが,2人が従前の世界のベターメント(変化)に向けて共に何かをなすこと―共同的実践―の基盤となる。 「アクションリサーチ」とは,当初の観察者(通常研究者,ここではファルケ)と当初の観察対象者(通常種々の現場に生きる人びと,ここではイザック)とが,今述べた意味での第三の視点(第三の世界)を,共に創りあげていくための共同的実践のことである。この意味では,当初の観察者と観察対象者は,もはや,それぞれをそのように呼ぶのは不適切で,両者がともに観察当事者に変貌していくと言うべきかもしれない。 「アクションリサーチ」という共同的実践は,多くの場合,単発の活動(たとえば,実験室での実験や関係者へのインタビュー)では完了せず,現場での息の長い活動となる。実際,本書では,「クロスロード」と呼ばれる防災ゲームを媒体として,筆者を含め多様な人びとが関与する防災研究が数年間にわたる共同的実践として継続していること(第1章,第2章など),あるいは,災害の体験を語る被災者の観察に端を発した研究が,語り部活動を中核とした10年にわたる共同的実践へと展開していったこと(第4,5,6章など)について報告している。 いずれの共同的実践においても,筆者は,さしあたってファルケである。しかし,共同的実践の深化とともに,自らがファルケであり同時にイザックにもなることができていればと願っている。あわせて,そうした共同的実践を全体として観察した成果である本書を通じて,「アクションリサーチ」の魅力を読者に伝えることができればと期待している。 | ||