郡上八幡 伝統を生きる

地域社会の語りとリアリティ

著者 足立 重和
ジャンル 環境・震災・都市・地域社会
社会学 > 観光
出版年月日 2010/08/15
ISBN 9784788512023
判型・ページ数 4-6・336ページ
定価 3,630円(本体3,300円+税)
在庫 在庫あり
水と踊りのまち岐阜県・郡上八幡。郡上おどりの観光化に大成功した反面,風情ある愉しみは失われた。かつてまちを揺るがした長良川河口堰問題とは何だったのか? 交錯する人びとの語りから伝統を守る生きざま,リアリティの“民俗的色合い”を探る野心作。

◆書評
2010年11月8日、中日新聞
2010年12月4日、図書新聞
郡上八幡 伝統を生きる――目次

序 章 郡上八幡へようこそ
1 あるフィールドワークの一日
2 地域社会の語りとリアリティ
3 語りと語りえぬもの――コンテクストとは何か
4 郡上おどりの保存と継承――第・部へむけて

第・部 郡上おどりを踊る

第1章 「城下町」というリアリティ――郡上八幡の社会学的スケッチ
1 城山に登ってまちを見わたす
2 郡上八幡城―まちのシンボル
3 「水のまち」の原型
4 文化の薫りただようまち
5 「城下町」というリアリティ

第2章 郡上おどりの「保存」――伝統文化のリアリティをささえる推論
1 かたちがないものの保存とは
2 郡上おどりの現在
3 「保存」というリアリティの維持
4 伝統文化の保存にはたらく推論

第3章 郡上おどりの「独自性」――あいまいさを管理する方法
1 「独自性」のあいまいさ
2 「現地の人々の主体性」という表象
3 郷土史家による踊りの本質化
4 あいまいさを管理する方法
5 地域らしさの不安定さ

第4章 ・風情・という審美的リアリティ
1 不可解な地元住民の語りと動き
2 盆踊りの歴史的コンテクスト
3 ・風情・がささえる地域づくり
4 生きざまに根ざす地域づくり

第5章 ノスタルジーがささえる伝統文化の継承
1 「観光化される伝統文化」再考
2 ・ボランティア・がささえる「保存のイデオロギー」
3 ノスタルジック・セルフと伝統文化の継承
4 歴史的環境保全としての伝統文化の継承
5 第・部・小括

第・部 長良川を守る

第6章 直接対話のもどかしさ
――長良川河口堰をめぐる分離型ディスコミュニケーション
1 長良川河口堰をめぐる地元のリアリティ――第・部へむけて
2 長良川河口堰問題と反対運動の経過
3 新しい文化=政治運動としての河口堰反対運動
4 ディスコミュニケーションの二類型
5 円卓会議における対話
6 ディスコミュニケーション能力

第7章 対話を拒むレトリック
――長良川河口堰をめぐる対決型ディスコミュニケーション
1 公共事業をめぐる対立
2 コミュニケーションの非対称性
3 対話を拒む説明と説明を拒むシークエンス
4 公共事業をめぐる対話の可能性と不可能性

第8章 運動の分裂と自己正当化の語り――住民のカテゴリー化による微細な抵抗
1 地域社会の軋轢
2 「守る会」分裂の経過と当事者の語り
3 例外の出現
4 「あいつはここに住んでいない」という語り
5 カテゴリー化の遂行と語りの正当化過程

第9章 「町衆システム」という仕掛け――地域社会の意志決定システム
1 地元住民になる条件
2 「守る会」の意志決定システムと住民の総意
3 地域社会の公論を導く仕掛け

第10章 論争としての観光・環境問題
1 観光現象と伝統文化の社会学・人類学・民俗学研究
2 環境問題の社会学における被害・加害・解決論
3 環境運動の意志決定への社会学的研究
4 第・部・小括

終章 郡上八幡の人々の生きざまに学ぶ
1 フィールドの・ちから・
2 郡上八幡の人々の生きざま

あとがき

参考文献

人名索引・事項索引

装幀 中井瑠依


あとがき
肝心なことは、言葉で多くを語ることはできない。それは、沈黙、余白、行間といった・語りえぬもの・からにじみ出てくるものである――これまで学会などでさんざん「語りや言葉が大事だ」と言っておきながら、本書の行き着いた先は、このようなありきたりなものとなってしまった。だが、肝心なことを見抜くためには、沈黙、余白、行間を生み出す・語り・や・言葉・がどうしても必要になってくる。この語りと語りえぬものの「交錯」(あるいは「パラドクス」)のなかに、人々の・生きざま・が浮かび上がってくるのではないか。とすれば、社会学を志す者として、語りえないからといって、沈黙してはならない。絶えず自分たちの伝統に立ち返ろうとする、郡上八幡の人々の生きざまはどのようなものであり、またその生きざまから郡上八幡という地域社会はどのように見えてくるのか。本書の立場は、おおよそこういったところだろう。

はたしてこの試みが成功しているかどうかはたいへん心許ないが、私としては今後、・生きざま・という視点でフィールドワークを、さらには社会学そのものをとらえ返していきたいという野心をもっている。というのも、かつて社会学の存在に救われた者として、生きざまはもっと社会学の根幹に据えられるべきであり、それを踏まえずして運動や政策への有用性などありえないと考えるからである。それが、私なりの社会学へのささやかな・恩返し・なのである。

そのためにはまず、フィールドワークは変わらねばならない。たとえば、社会調査論において「質的調査」という言葉がある。これは、教科書的にいえば、量的調査との対比のうえで成立する領域であるといってもいいだろう。たしかに数量化されえない質を伴った事実が存在する。そこに魅かれて、フィールドワークを志す社会学研究者も増えてきた。もちろん、私もその一人である。しかし、質的調査に固有の・質・とはいったい何だろうか。それは、たんに数量化されえない「事実」「史料」「データ」「トランスクリプト」だけですませていいのだろうか。いやもっと踏み込んで、語りが産出するリアリティの・色合い・・奥行き・というか、そのような濃淡や距離感こそ、質なんじゃないか。ただ、その質とやらを社会学的に定義・説明せよと言われるとうまくいかないのだが、フィールドワークを通じて記述するならば、それは可能だ。これまでのすぐれたフィールドワークによる記述は、意図的かどうかは別として、そういうものを含み込んできたはずだ。

もうそろそろ社会学的なフィールドワークは、人々の生きざまに通じる・色合い・や・奥行き・を伴うリアリティと真剣に向き合わなければならない。本書を書き上げたいま、自省を込めて強くそう思う。

私が最初に郡上八幡を訪れたのは、今から約二〇年前の学部生の頃だった。その頃、専門課程に進んでいた私は、「社会調査とはどんなもんなんだろうか」という軽い気持ちで、当時の指導教授が始めたばかりの長良川河口堰建設問題の調査に仲間とともに同行させていただき、流域の各市町村を訪れていた時期だった。「何か知らんけど、上流のほうに、すごく盛り上がっている反対運動があるらしい」という釣り好きの指導教授の言葉にしたがって、全く聞いたこともないそのまちに行ってみようということになった。それが郡上八幡だった。

路線バスで郡上八幡に到着したのは夜で、季節は冬だった。今でも印象に残っているのは、とにかく宿をめざしてシンシンと冷え込む薄暗いまちなかを歩いていると、突如として現れた宮ヶ瀬橋の欄干に備えつけられた街灯と、右岸側の切り立った崖の上に青く光る某電器メーカーのネオン(現在は景観的な配慮から撤去された)が橋、川、町並み、そして酔って肩を組んですれ違う通行人たちをボーッと照らし出す、何とも幻想的な光景であった。誤解を恐れずにいえば「こんなところがあったのか」というのが正直な第一印象だった。ただし、ここでいう「こんなところ」とは、・都会か田舎か・といった単純な二分法とはまったく別次元の、たいへん魅力的な・まち・という意味である。このようなまちこそ、実は日本全国に多く点在しているのではないか。そこで反対運動が盛り上がっているって、どういうことなのだろう。ほとんど直感の域を出ない素朴な関心から、私は本格的に郡上八幡でフィールドワークを開始した。あれから一七年――といっても一七年間ずっと郡上八幡にいたわけではないのだが、それでもこのまちで下宿を借りつづけ、そこでの暮らしを立てながら、いまも断続的にフィールドワークを続けている。

二〇〇五年、私は関西学院大学大学院社会学研究科に博士学位請求論文「地域社会における語りとリアリティの社会学的研究――岐阜県郡上市八幡町のモノグラフ」を提出し、翌年学位を取得した。本書はそれをもとに大幅な加筆・修正を加えたものである。初出一覧は、以下のとおりである。

序章 2005「地域社会における語りとリアリティ――郡上八幡という場所をとらえるための試論」『先端社会研究』3 関西学院大学大学院社会学研究科21世紀COEプログラム・関西学院大学出版会: 9-33.
第1章 書き下ろし
第2章 2000「伝統文化の説明――郡上おどりの保存をめぐって」片桐新自編『シリーズ環境社会学3 歴史的環境の社会学』新曜社? 132-54.
第3章 2001「伝統文化の管理人――郡上おどりの保存をめぐる郷土史家の言説実践」中河伸俊・北澤毅・土井隆義編『社会構築主義のスペクトラム――パースペクティブの現在と可能性』ナカニシヤ出版? 175-95.
第4章 2004「地域づくりに働く盆踊りのリアリティ――岐阜県郡上市八幡町の郡上おどりの事例から」『フォーラム現代社会学』3 関西社会学会・世界思想社: 83-95.
第5章 2004「ノスタルジーを通じた伝統文化の継承――岐阜県郡上市八幡町の郡上おどりの事例から」『環境社会学研究』10 環境社会学会・有斐閣: 42-58.
第6章 2002「公共事業をめぐるディスコミュニケーション――長良川河口堰問題を事例として」『都市問題』93-10, 東京市政調査会: 43-56.
第7章 2001「公共事業をめぐる対話のメカニズム――長良川河口堰問題を事例として」舩橋晴俊編『講座環境社会学2 加害・被害と解決過程』有斐閣? 145-76.
第8章 1998「あいつはここに住んでいない――環境保護運動における住民のカテゴリー化実践の研究」山田富秋・好井裕明編『エスノメソドロジーの想像力』せりか書房? 159-69.
第9章 1999「地域環境運動の意志決定と住民の総意――岐阜県X町の長良川河口堰建設反対派の事例から」『環境社会学研究』5 環境社会学会・新曜社: 152-65.
第10章 第4、7、9章の初出論文の理論部分を集めて再編
終章 2008「生活感覚のフィールドワーク――岐阜県郡上市八幡町の事例研究から」『社会と調査』創刊号 社会調査士資格認定機構・有斐閣: 50-60.

なお、第4、5、終章のもとになる論文の執筆にあたっては、平成一三~一四年度文部科学省科学研究費補助金若手研究B(課題番号:13710108)、平成一三~一五年度文部科学省科学研究費補助金基盤研究B(1)(研究代表者:岩本通弥 課題番号:13410095)、平成一八~一九年度文部科学省科学研究費補助金若手研究B(課題番号:18730322)の助成を受けた。関係各位に感謝申し上げる次第である。

本書の完成までに、多くの方々のご助力をいただいた。この場にてお礼を述べさせていただきたい。
まず真っ先に、郡上八幡の皆様方に深くお礼を申し上げたい。特にフィールドワークに直接かかわってくださった方々は、一九九三年より今日まで、いったい何をしているのかよくわからない私を寛大に受け入れてくださった。ただ、本書をごらんのとおり、まだまだ扱いきれていないテーマが多い。郡上八幡の方々の生きざまは、たいへん奥深い。今後はこの深みに向かいながら、郡上八幡を特徴づける、用水とともにある暮らしぶりや独特の釣り文化など、気持ちを新たにして研究に取り組む所存である。
各章の論考を書き上げる際に、これまで学部から大学院にかけて所属してきた、追手門学院大学文学部社会学科、大阪教育大学大学院教育学研究科、関西学院大学大学院社会学研究科の先生方をはじめ先輩・同僚・後輩の皆様、ならびにさまざまな学会や研究会、専門誌の査読にて批判やコメントを寄せてくださった先生方に、お礼を申し上げたい。なかでも工藤宏司さん(大阪府立大学講師)と山室敦嗣さん(福岡工業大学准教授)は、必ず有益なヒントやコメントをその都度くださった。また構築主義については、中河伸俊教授(大阪府立大学)から多くを学ばせていただいた。

その後、本書のもととなる博士論文の審査では、主査である荻野昌弘教授(関西学院大学)、副査である古川彰教授(関西学院大学)、好井裕明教授(筑波大学)にたいへんお世話になった。特に論文提出に際して、荻野教授からは、既存の方法論や細かい語りの分析に逃げ込みがちな私に対し、・社会なるもの・の首根っこをつかむような、自分流の社会学を展開するようにとの助言をいただいた。また、古川教授は、長年にわたるフィールドワークのご経験から、博士論文の方法論や全体の構成について重要な示唆を与えてくださった。そして好井教授は、論文自体が行き詰まった際には・社会学を生きる私の原点・を甦らせていただいた。先生方からの助言は、本書を執筆するうえでも引き継がれている。

ところで、私には三人の師がいる。お一人は、学部時代の指導教授であった田中滋先生(龍谷大学教授)である。学部生時代、遊びとアルバイトに明け暮れていた私は、独創的な理論的思考でもって生々しい社会現象をたちどころに説明してみせる先生の語り口に魅せられ、社会学の世界に足を踏み入れた。また何を隠そう、郡上八幡に引き合わせてくださったのも、田中先生なのである。

その後、大学院修士課程に進んだ際には、平英美先生(滋賀医科大学教授)にご指導いただいた。平先生は、専攻されている現象学的社会学やエスノメソドロジーといった方法論だけでなく、それらの根幹にかかわる「ラディカルな態度とはどういうことか」について身をもって示してくださった。
さらに大学院博士後期課程にて指導を引き受けてくださったのは、鳥越?_c07844之先生(早稲田大学教授)である。鳥越先生からはフィールドワークの厳しさや迫力だけでなく、人々の生活から学ぶ姿勢を含めた「研究することの意味」について、実に多くのことを学ばせていただいた。先生のおかげで、どうにか一人前の研究者になることができた。

指導教授である先生方からのこれまでの温かいご指導と励ましに改めて深くお礼を申し上げたい。

最後に、いつもささえてくれる妻と娘に感謝するとともに、これまで勝手気ままな生き方を許してくれた、父(故人)、母、弟に本書を捧げる。

二〇一〇年六月
                足立 重和

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