|
マイケル・シーガル 著/外山紀子 訳 子どもの知性と大人の誤解
| ||
|
10.03.25 978-4-7885-1193-4
|
46判 344頁 定価3465円 |
◆乳幼児の持っている素晴らしい知性◆ 「発達心理学」のテキストには、乳幼児は一度にわずかしか記憶できないし、 他者の視点の理解も不十分で、能力はごく限られていると説明されています。 でも、子どもが持てる知性を存分に発揮できる状況をつくりだして調べてみる と、まったく事情が異なるのです。本書は、世界中のさまざまな文化で行われ た研究から、幼児の認知は、これまでピアジェたちが主張してきた姿とは違っ て、もっとずっと豊かであり、また、一律に発達するものでもないことを明ら かにします。世界をまたにかけて研究してきた著者ならではの話題と軽やかな 語り口で、楽しみながら認知発達心理学のホットなテーマがよく理解できます。 著者は、イギリスのシェフィールド大学教授、訳者は、津田塾大学教授。 |
子どもの知性と大人の誤解 目次 子どもの知識は、どのような性質をもつのだろうか。この本の目的は、可能な限り広範囲な証拠を、必要な詳細を犠牲にすることなく読者に要約して示すことである。本書で紹介する研究成果は、他者の思考や信念についての子どもの理解、そしてそれらが自分自身の思考や信念、現実とどのように異なるのかについての理解、さらには、地球の形や宇宙におけるその動き、食べ物や健康、および衛生の重要性、生と死の過程、数と計算などについての子どもの理解にかかわっている。その他の問題として、標準的には発達していない子ども、特に自閉症と診断された子どもの知識が、標準的に発達している同年齢の子どもと比べてどのように異なるのかについても取り上げる。 これらのどの問題について研究する際にも、私たちは次のような根本的な問いを考慮する必要がある。それはすなわち、子どもが本当に理解していることを示すことは、なぜこれほどまでに難しいのかという問いである。子どもにかかわる仕事をしている人であれば誰でもそう証言するだろう。たとえば、子どもは発達の初期段階では、根本にある現実ではなく見かけによって考えが左右されてしまうため、他者の心や事物の目に見えない性質に気づくことができないからだろうか。それとも子どもは、大人からの質問の目的や関連性を理解できず、自分がどこまで理解しているか反映しない答えを言ってしまうのだろうか。この論争の中心には、それぞれの知識領域において、子どもは初期の理解においてどれほどの制限あるいは欠損を抱えているのかという問題がある。子どもには最初何らかの認識上の欠損があり、それが事実としての情報に抵抗するため、学習の機会があってもその欠損が克服されず、発達のために根本的な概念変化を経る必要があるという説をめぐる論争があるのである。 この論争を解決し、子どもが真に理解できること、また実際に理解していることを明らかにするためには、二つの誤りの間でうまく舵をとらねばならない。子どもが知識をもっていないのにもっていると結論づける誤り「偽陽性」と、子どもが実際には知識をもっているのにもっていないと結論づける誤り「偽陰性」である。もちろん、子どもの理解に関する判断だけが、偽陽性や偽陰性に基づく結論の被害を受けやすいというわけではない。たとえば、大人も日常関係のなかで、しょっちゅうこういう間違いをおかしている。パートナーを選ぶ際、実際にはふさわしくないのに選んでしまうという偽陽性の誤りをおかすし、逆に、実際にはふさわしいパートナーなのに、その人を受け容れるのを拒んでしまうという偽陰性の誤りをおかすことだってある。 おそらく大人なら、そういう誤りに対処できるだけ強いこともあろう。しかし、子どもが何を理解でき、実際に何を理解しているかについて、偽陽性あるいは偽陰性の結論を下すなら、子どもの未来の幸福に消すことのできない影響を与えてしまう可能性がある。とうてい理解できないようなストレスの多い学習環境を用意してしまうかもしれないし、逆に、最も有効な潜在能力を伸ばすことのできるあらゆる可能性を閉ざしてしまうかもしれない。前者については、次に続く章でみていくように、子どもには会話経験が少ないのだから、質問がどういう意図をもち、どういう関連があるのかを理解しやすいよう明示的に質問するなど、「会話的に豊かな」技術への配慮が必要である。 発達初期に、子どもに最大のサポートを与える文化についても考慮しなければならない。文化によるサポートがあるからこそ、特定の領域における子どもの知識は明白になっていく。さらに、このサポートが崩壊し、子どもの理解ひいては大人の理解さえも損なわれてしまう状況にも留意する必要がある。また一方で、私たちが必要としているのは、もっと一般的にどのような知識を子どもが理解できるのかに示唆を与える、いろいろな文化におけるいろいろな子ども集団に関する知識である。こうした研究成果から、他文化においては子どもの知識の限界を指摘するようにみえる否定的な結果があっても、偽陰性だとわかる場合のあることが示されている。たとえば、会話のなかで質問を理解する経験の不足や、初期の学習機会が制限されていたためであることもあろう。他方で、文化的サポートがほとんどない、あるいはまったくなかったならば、子どもの理解は覚束ないだろう。このような場合には、子どもと大人の相違は小さいように思われる。各章の最後では逸話を紹介するが、そこでは日常的知識における文化的文脈の重要性について説明しようと思う。 アメリカ、オーストラリア、イギリス、その他の地で私の仕事を支援し、刺激を与えてくださった方々に感謝したい。マーク・ブレイド、ピーター・カルザース、ディック・アイザー、ティム・ジャーマン、エルランド・ヘルムクイスト、パオラ・イアンネッロ、スティーブン・ローレンス、アントネラ・マルケッティ、アユミ・マツオ、リズ・ミルン、ピーター・ニューカム、ギャビン・ノービス、ジョージア・パナジオアッキ、クレア・ポンド、アニカ・ダルグレン・サンドバーグ、ヴァージニア・スローター、スティーヴ・スティッチ、ティロン・ウォルフ、アミール・アミン・ヤスディ、とりわけしばしば共著者になってくれているキャンディダ・ピーターソン、ルカ・スリアン、ローズマリー・ヴァリー。草稿の段階で助言していただいたオックスフォード大学出版部のマーティン・バウムにも感謝したい。私がテッサロニキにあるシェフィールド大学シティ・カレッジの心理学コース長としてギリシアに滞在していた間、アンゲロス・ロダフィノスとそのスタッフの方々に親切にしていただいた。私を快くイタリアに迎えてくださったシルビア・バリビエーリ、ニコラ・ブルーノ、ウォルター・ゲルビーノ、リカルド・ルチーノ、キアラ・パッソルンギ、カルロ・セメンツァ、マリア・タランディーニにも感謝したい。また、トリエステの大学院セミナーに出席したブルーノ・ビアンキ、ラドスベータ・ディミトロワ、コリーナ・ミシュラン、トマゾ・ペッキア、サンドラ・ペリゾーニ、ローラ・イオッチ、アリス・ゲルツィル、デニス・ラゼム、エレーナ・サリーリャスにも感謝したい。本書に述べる私の研究の多くは、ナフィールド・ファウンデーション、レヴェンヘルム・トラスト、欧州連合(EU)マリー・キュリー研究補助金、ベンフィカ・キャスリーン・フォアマン・カサーリ財団のご支援をいただいた。シェフィールド大学ハン・セン認知研究センター後援のワークショップ、とりわけ「AHRC文化と知性プロジェクト」での議論から恩恵を受けた。 私の母ソニアは、本書の初稿が完成したあとで亡くなった。本書を彼女の思い出に捧げたい。 MS 2007年8月
| ||