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中山 元 著

フーコー 思想の考古学
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四六判372頁

定価:本体3400円+税

発売日 10.04.09

ISBN 978-4-7885-1192-7

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◆甦るフーコー◆

フーコー逝って既に25年、今なおその人気は衰える気配がありません。本書は、特にその初期──といっても最も輝いていた時期なのですが──の思想を中心に、彼の目ざしたものを探ります。取り上げるのは 『精神疾患とパーソナリティ』 『臨床医学の誕生』『狂気の歴史』 『知の考古学』 『言葉と物』などの代表作です。精神医学の研修医としてスタートしたフーコーがまず直面した「狂気」の問題から、アルトーなどの作品における「狂気と文学」の問題を経て、「考古学」「エピステーメー」などの魅力的な概念創出への道筋を明らかにし、最後は『言葉と物』とカント論を丁寧に読み解きます。「なるほどそうだったのか」と、フーコーの清新で雄大な意図が鮮やかに見えてくる力作です。

フーコー 思想の考古学 目次

フーコー 思想の考古学 あとがき

ためし読み

関連書『思考のトポス』

関連サイト ポリロゴス

◆書評

2010年5月9日、東京新聞、佐々木敦氏評

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◆フーコー 思想の考古学――目次
  目 次
フーコー 思想の考古学|目次


第一章 フーコーの初期―『精神疾患とパーソナリティ』

第一節 精神医学の問題点
フーコーの処女作の意味  フーコーの最初の問題  心理学の擬似―科学性

第二節 精神の疾患の主観性の分析
意識の地層モデル―発達論とその難点  意識の歴史性のモデル―不安の発生  意識の実存論的なモデル

第三節 実存分析と人間学
現存在分析の意味  夢の体験と実存  現存在分析の限界  夢の価値狂気の逆説

第四節 疾患の客観性の分析
狂気の社会的な意味  パブロフ理論  ソ連と精神医学

第二章 狂気の経験―『狂気の歴史』

第一節 狂気の歴史の可能性 
二つの歴史  狂気の歴史の可能性  精神医学という学問への疑念

第二節 狂気の批判性と悲劇性 56
中世における非理性  非理性の三つの形象―愚者、道化、怪物  狂気の悲劇性  狂気の批判的な性格  悲劇的なものの衝撃

第三節 古典主義の時代の狂気 
デカルトにおける切断  大いなる閉じ込め  狂気と道徳

第四節 狂気の新しい分類 
医学と道徳の「同じ夢」  狂気についての新しい感受性  新しい自然狂気の分割  狂者の「解放」

第五節 心理学の誕生
狂気と法の新しい関係  理性の他者  ヘーゲルの人間学  心理学という学問の限界

第三章 狂気と文学―『レイモン・ルーセル』

第一節 作品の不在 
作品の可能性  言語の力

第二節 ルーセルにおける三つの逆説 
ルーセルの魅力  三つの逆説  「わたしは嘘をついている」  ルーセルの手法  黒い太陽  「わたしは死んでいる」  「わたしは狂っている」  三つの逆説の意味

第三節 アルトーにおける三つの逆説 
「わたしは狂っている」  「わたしは死んでいる」  アルトーの苦闘  演劇と身体  「わたしは嘘をついている」  カバン語と残酷の演劇  舌語  晩年のアルトー

第四章 死と科学―『臨床医学の誕生』

第一節 医学のまなざしの意味 
『レイモン・ルーセル』と『臨床医学の誕生』の隠れた結びつき  科学としての医学の誕生  三つの時代区分

第二節 近代的な医学の誕生 
都市の統治  近代的な臨床医学の登場  解剖学的なまなざし  死の特権的な地位  医学的まなざしの転換  見えるものと見えないもの

第五章 考古学の方法―『知の考古学』

第一節 考古学とは 
考古学のねらい  道具の考古学

第二節 『知の考古学』 
考古学の方法論的な解明  考古学とエピステモロジー  不連続性の概念  対象領域の拡大  ディスクール  エノンセの定義  エノンセの機能  エノンセとディスクールの関係  歴史的なアプリオリ  真理のうちにあること  知  三つの領域における知―生物学、経済学、言語学  知への意志と真理への意志  アルシーヴ  作者の死 同時代の診断

第六章 思想の考古学―『言葉と物』

第一節 『言葉と物』の方法 
物と秩序  中間の領域  エピステーメーの切断

第二節 エピステーメーの秩序 
「世界の散文」  ベーコンとデカルト  タブローの空間  古典主義時代の知の方法論  古典主義時代における三つの基本的な学問  欲望の時代  考古学と現代の診断

第三節 近代のエピステーメーの登場 
経済学の誕生  生物学の誕生  文献学の誕生

第四節 〈人間〉の誕生 
人間の有限性と知  近代の知の特徴

第七章 人間学の「罠」と現代哲学の課題―「カント『人間学』の序」

第一節 カントの人間学 
カントの人間学の位置  起源としてのカントの哲学  現代哲学の諸潮流

第二節 カント批判の論拠 
『人間学』と批判前期  『人間学』と批判期  『人間学』と批判後期 家族の人間学―第二の問題系  嫉妬の人間学  理性の逸脱―第三の問題系  『人間学』と『批判』書の関係  『人間学』における問題の深化  カントの『遺稿』の位置  世界の三重の構造

第三節 カントと現代哲学 
現代哲学への批判  神、世界、人間  アプリオリの概念の逆転  人間学の罠

第四節 人間学の四辺形 
哲学の可能性  二組の線分  存在論と動詞の理論  言語の起源と指示  アルファベットと派生の理論  近代のエピステーメー  人間学の四辺形の成立

第五節 人間の有限性 
有限性の分析論  経験的=超越論的な二重性  二つのまなざし  コギトと考えられぬもの  ?盲目的なしみ〉と哲学  起源への回帰  起源に回帰する二つの道  人間学の四辺形を超えて

注 
あとがき 
索引 

装幀―桂川潤
装画―BUshi


◆フーコー 思想の考古学――あとがき

あとがき

初期のフーコーの思想的な軌跡を追跡した本書は、大きく分けて二つの部分で構成される。前半部は第一章から第三章までである。まず第一章では、一九五〇年代の初期に、精神医学の研修医としてスタートしたフーコーが、どのような問題に直面し、それをどのように解決していったかを考える。この解き方が、その後のフーコーの進む方向をある意味で決めていったのである。

第二章では、『狂気の歴史』を中心に、狂気をたんなる身体的および精神的な異常であるだけでなく、歴史的に規定されたものとして研究することで、フーコーの前にどのような新しい地平が開けてきたか、また心理学や精神医学そのものを批判しうるどのような視点を獲得していったかを検討する。

第三章では、精神医学の専門領域よりも文学の分野で、たとえばルーセルやアルトーの作品のうちに、狂気がどのような足跡と輝きを残しているかを考察したフーコーの営みを紹介する。この章では、「わたしは狂っている」「わたしは嘘をついている」「わたしは死んでいる」という自己言及的な三つの逆説を手がかりに考えた。自己矛盾しているかにみえるこれらの逆説が、ルーセルやアルトーの作品のなかで、いかにして狂気と文学の深い結びつきを顕わにしているかを追跡する。

後半部はフーコーのこの時代の方法論の核心であった考古学について、そしてその考古学を活用してえられた多産な成果についてまとめている。第四章は、第三章の文学的な考察と、第五章以下の考古学的な考察をつなぐ章である。この章では『臨床医学の誕生』を考察の軸に据えながら、文学のうちに一瞬だけ痕跡を示す狂気をみつめるまなざしと、近代的な臨床医学をささえるまなざしのあいだに、どのような深い絆が存在するかを明らかにしようとする。

第五章は、フーコーの考古学がつくりだしたさまざまな概念を吟味し、その「使い道」を試している。ディスクール、エノンセ、アルシーヴなど、その使い道が定着し、すでに古典的になった概念も多いが、「歴史的なアプリオリ」のように、まだ考察を深めるべき概念も存在する。

第六章は、『言葉と物』におけるエピステーメーの変化に注目しながら、そこで生まれた「人間」の概念の位置と、その後のフーコーにとってこの概念がもった思想的な意味を手短に考察する。この概念は、次の章で詳細に検討されるフーコーの人間学批判の成果であり、端緒でもある。

最後を締めくくる第七章は、二つの部分に分けられる。第一の部分では、カントの『人間学』の翻訳とともに一九六一年に、博士論文の副論文として提出され、そのまま発表されていなかった「カント『人間学』の序」について詳細に考察する(この論文はこれまでパリのフーコー・センターで閲覧するしかなかったが、二〇〇八年にフーコーの訳文とともに、ヴラン社から刊行された)。この論文では、『純粋理性批判』に始まる三つの『批判』書のカントと、『人間学』のカントの共通性と相違点を考察しながら、現代の哲学がカントの「人間学の眠り」にまどろんでいることを批判するものとして、きわめて興味深い。その論文を考察することで、『言葉と物』で展開される現代哲学の批判の理路が明らかになるはずである。

後半部分では、この論文の解読に基づいて、『言葉と物』における「人間学のまどろみ」の批判の道筋をたどってゆく。フーコーは『狂気の歴史』で確立された心理学をはじめとする人間科学批判の視点を補う形で、現代哲学の全体を批判する立場を見定めてゆく。フーコーは「カント『人間学』の序」も、『言葉と物』もニーチェで締めくくっているが、ニーチェの哲学の営みを手がかりにして行なわれるこの「人間学のまどろみ」の批判は、文学と狂気の考察の一つの結論でもあったのである。

    

二〇〇八年に刊行した『賢者と羊飼い―フーコーとパレーシア』(筑摩書房)は、一九八〇年代以降の晩期のフーコーの自己の解釈学と「真理を語ること」についての思索を考察したものだった。また本書とほぼ同時期に河出書房新社から刊行される『フーコー 生権力と統治性』は、本書につづく時期、すなわち一九七〇年代における中期のフーコーの思想の軌跡を、コレージュ・ド・フランスの講義録『精神医学の権力』『異常者たち』『〈社会を守れ〉』『治安・領土・人口』『生政治の誕生』などを解読しながら考察するものである。本書『フーコー 思想の考古学』とあわせてお読みいただければ、フーコーの生涯の思想の軌跡を追跡することができると思う。

いつもながら本書の刊行にあたっては、企画段階から渦岡謙一さんにいろいろとご配慮いただいた。心から感謝申しあげる。

 
二〇一〇年一月 中山 元