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金菱 清 著 体感する社会学
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10.04.15 978-4-7885-1175-0
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46判 190頁 定価1995円 |
◆常識を「溶かす」テキスト◆ ふと立ち止まって身についた常識や考え方を疑ってみたことがあるでしょうか。 「世の中ってこんなもんだろう」となめてしまっていないでしょうか? いま 学生に一般常識がありすぎることが問題なのです。このテキストにはふつうの 教科書に出てくる欧米人の偉い学者さんについての小むずかしい解説は一切つ いていません。さまざまなクイズを繰り出して当たり前の考え方をぶち破る脳 の初期化をねらいます。全12回のテーマは、反常識、性、悪夢、予言、魔力、 矛盾、演技、家族、受苦、倫理、法、生。逆説に満ちた社会を「体感する」の タイトル通り、読み始めたら止まりません。著者は東北学院大学教養学部准教 授。 |
体感する社会学 目次 体感する社会学――Oh! My Sociology はじめに いまから社会学というものを学ぼうとしています。講義のはじめに、なぜ社会学を受講するのかレポートに書いてもらったところ、ある学生からつぎのような間違った解答が返ってきました。「社会学を学んだことがなかったため、調べたところ、『人間や集団の諸関係、とくに社会の構造・機能などを研究対象とする社会科学の一分野』と書いてあり、私に必要な学問だと思い、この授業をとりました」。 もちろん、説明としては間違ってはいませんが、もし本書を手にとったみなさんがこのような小むずかしいものを社会学に期待しているならば、すぐに本書を燃やすことをお勧めします(あっ、いまは環境問題で騒がれますのでブックオフか友達に売るか、書店で本書を手にとった場合は静かに本棚に戻してください)。ただし、こういう考えをもっている人は本書が対象としているよいカモ″ですので、どうぞ安心してください。 少し表現がまずかったので言い直します。本書が対象としているのは、「学問って少しアカデミックで取っつきにくく、わたしたちの日常生活とはかけ離れたことを研究しているんだわ」と思っている人たちです。そういう人たちに、じつは学問と日常生活がけして離れておらず、むしろその境界はあいまいで両者はきわめて密接していることを実感してもらうことを目論んでいます。 この書のタイトルには、「体感する社会学」とありますが、通常じかに接する講義(現場)と異なり、書物のみで話を進めていくことには限界があります。しかし、あえて堂々と「体感する社会学」と銘打ったのは、じつは書物だけでも十二分に社会を実感することができることを念頭においているからです。というのも毎年、大学のシラバス(講義計画)を読んだだけで多くの学生がわたしの講義を受講します。平均して三百人、多い時で七百人もの学生がひとつの教室に集まります。先ほどと同じようにある学生の受講理由をつぎにあげてみましょう。 「大学に入学し、社会学を学ぶにあたり、さまざまな先輩から、大学の講義は先生の自己満足であると聞いていました。しかし、シラバスを読んでいて、金菱先生の社会学のテーマ、講義内容、講義計画のどれを見ても、自分もきちんと講義に参加していると実感することができるところに、まず魅力を感じました」。 これは奇妙な話です。まだ実際に受講していないにもかかわらず、シラバスを見ただけで学生は社会学の講義をなぜか疑似体験しているのです。シラバスは世に公開することで少しかしこまって表現していますが、基本的には本書の目次を見ていただけるとわかるように、トピックとしてみなさんが気になったり、引っかかったりすることが散りばめられています。 講義テーマは「意外性の社会学を体感すること」で、本のタイトルと変わりません。内容はクイズ形式で、「人の心を読む心理学」より「人びとの心を読みとる社会学」が意外に面白いことを知ってもらう、というようなことを書いています。 というわけで、大学教員のわたしという生の人間を登場させなくても、この書にみなさん一人ひとりが参加できるように、できる限り工夫しました。クイズ形式もそのひとつです。正解はすぐあとに書いてある場合もありますが、別のページに飛ばしているものもありますので、みなさん自らが探し出してください。 さて、大学に入ったみなさんは、高校までに習った知識や考え方をもっています。それを今まで疑ったことはあるでしょうか。いつから「世の中ってこんなもんだろう」と思い始めたのでしょうか。おそらく中学校までは新鮮で刺激的な毎日がみなさんを待ち受けていたはずです。それがいつしかルーティン化し始めると、あらゆることをこの程度かと世の中をなめてしまいます。死すらも怖くなくなってしまいます。そうなると、受験や定期試験を通じて新しい知識や考え方を身につけることはしますが、それが小学校で習ったような未知のものにふれる「ワクワク」する楽しい経験、あるいは「ワナワナ」する怖い経験ではなくなっています。つまり、ものを考えなくてよい習慣が身についてしまいます。 このテキストでは、「世の中ってこんなもんだろう」と思っているみなさん一人ひとりの、ごくふつうの日常を溶かすねらいをもっています。したがって、この書にはふつうの教科書に出てくる欧米人の偉い学者さんの解説も一切ついていません。しかし、みなさんの関心に従って進めていくために、ある種危ない橋を渡ります。そこはみなさん一人ひとりとのガチンコ勝負です。「人は生き、人は死ぬ」。こうした人間観をわたしたちは一見すると当たり前のように受けとめています。しかし、自分自身のことを少し考えてみると、じつは誰も一番よく知っているはずの〈わたし〉のことを完全にはわかっていません。つまり、自分の死を体感し経験することはできないのです。そればかりか、自分の誕生の瞬間すらも誰も知りません。わたしの誕生日が何年何月何日何時何分であることは、あとでわかります。いまではホームビデオで誕生の瞬間を撮影することができるようになりました。では、そのときわたしはどのような感情や意識をもってこの世に生まれてきたのでしょうか? いろいろ映像から解釈することはできますが、それがほんとうにその時の感情であるのか確証は得られません。また、たとえわたしの死の瞬間を撮影したとしても、映像に残った自分を見ることはもはやありません。死んだ後、何十年、何百年、いや何億年、何百光年自分の意識は存在しません。 「自分はこの世からいなくなる」のに、なぜわたしたちは平然と暮らしを成り立たせることができるのでしょうか。考えてみれば不思議なことです。ある人いわく、わたしたち人間は確実に死が訪れるとわかっていてもできるだけ死を遠ざけたいと願っていて、どこかでごまかしを行い、死を遠ざけるために「文化」という仕掛け(装置)を社会につくった、とのことです。なるほど、避けがたい死を日常として飼い慣らすために遊びという文化を発明した、そのように考えるとふだんはなめらかな世の中が急にパタッとひっくり返り、オモテとは違うウラの意外な表情を見せてくれます。ふつうのことがむしろ特別にさえ思えてきます。日常生活に寄り添いながらも、そこに潜む非日常に焦点を当てることで、わたしたちの世界の本性を知りたくはありませんか? さあ、さっそくみなさんと一緒にいろいろなことを体感してみたいと思います。 | ||