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スティーヴ・フラー 著/永田晃也、遠藤 温、篠﨑香織、綾部広則訳

ナレッジマネジメントの思想
――――知識生産と社会的認識論


四六判400頁

定価:本体4200円+税

発売日 09.12.10

ISBN 978-4-7885-1148-4




◆マクドナルドは「賢い組織」? 大学は「愚かな組織」?◆

「知識」とは何でしょう。知識を計量化して管理することにはどういう意味が あるのでしょうか。いま、企業はいうに及ばず大学でも、知識を共有して活用 することがブームのようになっています。そこでは、マクドナルドは「賢い組 織」で、大学は「愚かな組織」と考えられています。たしかに現在の大学には 問題も多く、変革は必要でしょうが、マクドナルド化した大学から真に創造的 な知が生まれてくるでしょうか。ナレッジマネジメント(KM)の考え方に底 流するものを洗い出し、大学とその知の自律的なあり方を根底から問い直しま す。「管理された知」ではなく「創造的な知」を求めるすべての人に必読の書。 (著者は、いま最も活躍する英国の科学史・科学哲学者です)


◆ナレッジマネジメントの思想 目次

◆ナレッジマネジメントの思想 はじめに


◆ナレッジマネジメントの思想 目次
序文
第1章 ナレッジマネジメントは知識のために何をしてきたのか
 1 知識をめぐるから騒ぎ―なぜ、いま?
1.1 ナレッジマネジメントの前提条件としての歴史的近視眼
1.2 「ナレッジマネジメント」という名称にどんな意味があるのか
 2 知識と情報―偉大なるおとり商法
 3 科学者―ナレッジマネジメントの最大の敵
 4 理論的・実践的知識へのナレッジマネジメントの挑戦
4.1 ナレッジマネジメントと理論的知識の目的―公共財のディコンストラクション
4.2 ナレッジマネジメントと実践的知識の目的―大学の崩壊
 5 基本に戻る―レント、賃金、利潤における知識の価値の再発見
 6 知識帝国の逆襲―メタ公共財と企業への学術的価値の注入
 7 ナレッジマネジメントの範囲を仕切る―新しい知識生産の加速を恐れるのは誰か

第2章 知識を問題にする―哲学、経済学、法律
 1 ナレッジマネジメントに対する基本的な哲学上の障害
1.1 知識の哲学的問題と哲学の諸問題
 2 知識市場の創造―知的為替レートという考え方
2.1 科学者が拒めない申し出―なぜ科学者は共有するのか
2.2 アイディア市場の実現―貨幣のように知識は所有されるか
 3 知識の妥当性と経済的価値の結合体としての知的財産
3.1 分割不可能なものを分割するという挑戦
3.2 発見されたものを発明することによる挑戦
 4 幕間劇 知識市場は飽和するのか衰退するのか―われわれは知りすぎているのか知らなすぎるのか
 5 概括 専門的な訓練と職業から知的財産法へ
 6 知的財産の法的認識論
6.1 知識の所有根拠を研究するための二つの戦略
 7 エピローグ 知識を持つ人からの知識の疎外と専門的知識の商業化

第3章 知識革命の鍵としての情報技術
 1 はじめに 認識論から情報技術へ
 2 脱工業化の夢―情報技術の知性化
 3 ヒューマン―コンピュータ・インターフェースの社会的転換―歴史的概観
 4 専門知識からエキスパート・システムへ
4.1 専門知識の社会史の概略
4.2 ナレッジエンジニアは専門知識の社会的特徴からどのように利益を得るのか
4.3 知識システムの社会学に対するエキスパート・システムの教訓
4.4 エキスパート・システムと専門知識の偽りの民主化
4.5 要約 知的財産の究極的対象としての専門知識
 5 科学者でさえサイバースペースで無料のものを受け取らない理由
5.1 二つの技術哲学の話―サイバープラトン主義対サイバー唯物主義
5.2 サイバースケープゴートとしての出版業界
5.3 摩擦のない思考メディアに抵抗する
5.4 なぜペーパーレス化が万能薬ではないのか
5.5 サイバースペースはピアレビューに「値する」のか
5.6 結論 サイバープラトン主義の動機を浄化する
 6 補遺 究極的な情報技術としての資本化された教育

第4章 市民的共和主義のナレッジマネジメント理論
 1 市民的共和主義の歴史的・哲学的基礎
 2 顕著な誤りの例―マイケル・ポラニーの「科学の共和国」
 3 共和主義者のナレッジマネジメントのための手段を求めて
3.1 知識労働者組合
3.2 コンセンサス会議
3.3 大学―究極の共和主義的制度
 4 大学という共和主義組織に対する歴史的脅威
 5 大学という共和主義組織に対する研究契約労働者の挑戦
 6 結論 将来のアカデミックなCEOのための市民的共和主義のアジェンダ

補 論 ピアレビュー・プロセスのなかで生きているものと死んだもの
 1 はじめに ピアレビューの範囲
 2 ピアを定義する
 3 ピアを募集する
 4 ピア判定を体系的に記録する
 5 ピア判定を倫理的に監視する
 6 「拡張されたピアレビュー」―普遍的な解決方法?
 7 ピアレビューに未来はあるか―研究と政策への含意
7.1 方法論に関する注

結 論 ナレッジマネジメントの混成的なルートメタファー
 参考文献
 訳者あとがき
 索引
     装幀―虎尾 隆


◆ナレッジマネジメントの思想 目次

序 文


 本書は、ナレッジマネジメント〔1〕(その支持者には「KM」と呼ばれている)をゆるぎない知的基盤の上に置こうとする試みである。私は、このトピックに関する多くの著者たちと異なり、古くから知識生産に貢献し、その維持管理が国家による補助金に大きく依存してきた制度―すなわち大学―に主要な関心を向けてきた。民間企業も知識生産の事業に関わっていると言いうるのは最近の展開であり、それは現代において知識の厳密な性質に関する多くの疑問を引き起こしている。したがって、私はマネジメントの考え方が知識に対して何の役に立つのかと問うことを進めていくのであって、その逆を問うのではない。これは、私の分析がマネジャー(管理者)の見方とは反対の、ナレッジワーカー〔2〕の見方をとることを意味している。ナレッジマネジメントからなにも学ぶことがなければ、これら二つの見方は容易に摩擦を起こすであろう。

 確かに、ナレッジマネジメントの挑戦はまったく歓迎されないものではない。知識生産が多くの人びとを費用のかかる活動に巻き込むようになるにつれて、費用と効果の関係はより重大になってくる。大学の教員は、こうした問題の扱いに特に長けているわけではないが、自らの研究に対する際限のない資金を期待している。他方、ナレッジマネジメントの文献は、ジェレミー・ベンサムがはじめて功利主義を擁護して以来絶えて見られなかった露骨さ―むしろ粗暴さ―で、ナレッジプロデューサー〔3〕に自らを正当化するための課題を押しつけている。しかし、特に関係者間の力関係が間近に観測されない場合であっても、ある明確な線引きを行なえば、その力関係を無化することなく脱神秘化することができる。本書は、そのような明確な線引きを追求する。ナレッジワーカーは、自分たちの間にある差異と、自分たちの仕事に費用を負担している人びとに対する説明責任の両方を認識しなければならない。そうした認識は、必ずしもマルクス主義者が予言した大量搾取―もしくはプロレタリア化―という状態にあるという見方に導くわけではないとしても、ナレッジワーカーが知識を生産するという効能のためだけに一つの共通の企業に従事しているかのように自らを見ることを意味している。皮肉なことに、ナレッジマネジメントの文献は、現在こうした観点を曖昧にする傾向がある。しかし、大学教授、企業の研究者そしてIT(情報技術)の専門家が世界観や労働環境を通じて自然に共有しているものがほとんどないことを考えれば、それは驚くべきことではない。

 本書は、ナレッジマネジメントの歴史的・哲学的起源、そして知識とは何かに関するわれわれの理解を変容させてきた道筋について検討することから始まる。ここでいう変容については、大学の教員ばかりなく、経済学者ですら、概してその真価を認めていない。第1章では、二つの現代的な徴候に焦点を当てる。一つは、知識が公共財から特権的財へと微妙に変化してきていることである。特権的財の価値は、稀少性と直接結びついている。いま一つは、大学を「愚かな組織」(それに対して、マクドナルドのチェーン店は「賢い組織」である)とするナレッジマネジメント上の分類である。このような傾向は、確かにどの時代にも現われてきたものであるが、ナレッジマネジメントは、これらを明確に正当化している。しかしながら、知識生産への学問的志向(「管理職博士課程」)が安定勢力としてビジネスの世界に浸透し始めたことにより、逆の傾向も存在している。これら二つの傾向を取り上げるとともに、主として知識生産の本当の価値とは何であるのかに関する再検討に向かう。第2章では、これらの傾向に関連して、ナレッジマネジメント・スタイルの扱い方に抵抗するようになった知識の哲学的、経済学的、そして法的な特徴について詳細に探求する。第3章では、IT革命の大部分が産業労働に関する標準的なマルクス主義者の分析を知識労働にまで拡張することによって理解されても、情報技術とは、こうした理解の仕方を解体してしまうものであるということに焦点を当てる。すでにITの魅力は、学界の聖域の内部にまで浸透しているのかもしれない。そのことは、第3章の後半において、私と「サイバープラトン主義者」とのあいだに繰り広げられた論争によって例証される。第4章では、さらに知識の自律的な追求を浸食するナレッジマネジメントの傾向を多少とも打破するために、そのような追求を引き受けるのに必要とされる政治経済学について本格的に考察する。そこでは、「市民的共和主義」として知られている捉えどころのない政治的燃えさしに関する長所を探求することになる。市民的共和主義は、自由主義とコミュニタリアニズムの最良の要素が歴史的に結びついたものである。重要なことは、共和主義者が「マネジメント」より「ガバナンス」という言葉を好むということである。私は、組織の一形態としての大学が、どのようにして市民的共和主義の理想の制度化に接近してきたかについて議論する。補論では、学術的な知識生産の特徴的な形式であるピアレビュー・プロセスの現在と未来を取り巻く問題について深く探求している。結論においては、ナレッジマネジメントによって引き起こされる解決困難な問題が、われわれが通常、知識を概念化する際に使うかなり矛盾した用語に究極的に残されていることについて述べる。この点に関して、この分野はこれまで以上に十分深く考える価値がある。・・・・・・・



訳注

〔1〕一般的にいう「ナレッジマネジメント」(知識経営)とは、組織の内外に存在する知識を活用することにより業務プロセスの改善をめざすものとして1990年代後半以降に台頭した経営手法をいうが、フラーは本書において、知識を管理の対象とする思想を広く意味するものとして「ナレッジマネジメント」という語を用いている。

〔2〕「ナレッジワーカー」とは、科学者、技術者、マーケティング・スペシャリスト、ビジネス・コンサルタントなどの高度の専門知識をもった職業人をいう。「知識労働者」と訳されることもある。

〔3〕「ナレッジプロデューサー」とは、知識の生産、活用、蓄積の過程を通じて責任と権限を持つ者をいう。ナレッジマネジメントを担当する管理者を意味する「ナレッジマネジャー」という語と、ほぼ同義に用いられている。