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山口素子 著


『山姥、山を降りる』
――現代に棲まう昔話


四六判216頁

定価:本体2500円+税

発売日 09.3.3

ISBN 978-4-7885-1144-6


cover


◆女性元型としての山姥◆

「ヤマンバ娘」が渋谷の街を闊歩したのは数年前ですが、日本には古来から多くの「山姥伝説」伝わっています。そして意外にも山姥たちには、恐ろしい鬼女としてだけでなく、福を授ける「女神」の面も色濃くあります。山姥とは、いったい何者なのでしょうか? 本書ではユング心理学の視点から、昔話の山姥をモチーフに「女性の心の光と闇」にスポットをあてました。闇から目をそらさず見つめることで、より豊かな自己を築く――ユング心理学で読み解く伝説は、時代を超え、現代女性へのメッセージとして迫ります。著者は神戸女学院大学人間科学部教授。

◆目次
第1章 街に降りた山姥
「母親」という神話/昔話とユング心理学
第2章 山に棲む女
山姥のさまざまな顔/山姥はどこから来たのか/心の中の山姥
第3章 飯食わぬ女房
「飯食わぬ女房」/山姥との遭遇/むさぼり食うことと虚無/蜘蛛
第4章 紡ぐ女―運命
紡ぎ女・織姫/ファンタジーを紡ぐ/運命/「山姥の仲人」
第5章 援助する母・呪う母
「米福と粟福」/継母と娘/山姥の援助と呪い/課題
第6章 山姥の皮
「蛇婿入り」/父と娘たち/蛇を殺す/姥皮/長者の息子/
おわりに

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第1章
「母親」という神話

子供を対象とする心理療法では、並行して保護者への面接が行われることが多い。保護者は子供の日常についてもっとも熟知しているのだからせひ話を聞く必要があるし、また子供の場合には大人以上に家庭環境が問題状況と密接に関わっているので、保護者の対応や心理面を含めたさまざまな状況が、症状の形成や変遷に影響していることが多いからだ。保護者への面接は父母のどちらか、あるいは双方、または両親以外の子供の養育に最も深く関わっている人などが想定されるが、現在の日本の状況では、面接に来るのはやはり母親が圧倒的に多い。

 以前「『母』という神話」というタイトルで、母親面接についてのエッセイを書いたことがあるが、この母親面接というのがなかなか曲者だ。クライエント中心療法の創始者であるロジャーズは心理面接の基本の一つとして、「相談に来た人の心が無条件に尊重される」ことをあげているが、母親面接という名前がついたとたんに、この基本に忠実であることが難しくなるからだ。その背後にあるのが、「『母』という神話」であるように思われる。

 どういうことかというと、母親が面接に訪れるやいなや、その人個人としてのいろいろな事情が棚上げにされてしまって、面接者から「偉大なる癒しの女神」としての「母」のイメージを投影されてしまいがちなのである。個人としての状況は剥ぎ取られてしまい、子供の症状改善のために必要な態度行動をとることが求められる。それはある程度は当然の要求ともいえるが、治療者は母親に、この要請に完璧に応えるよう期待してしまいがちだ。そして母親が首尾良くそれに応えられないと、今度は「母」のまさに暗い側面、つまり子供を苦しめ、損なう「テリブルマザー=恐ろしい母」のイメージが投影されることになる。そして子供がよくならないのはすべて母親のせいなのだという怒りが、母親に向けられることになりかねない。

 私たち治療者は母親個人を見るのではなく、母親に偉大なる癒しの神を求め、一方でまた、恐ろしいむさぼり食う母をみとめて恐れおびえる。ここにはあたかも昔話に出てくる、あの山姥(やまんば)の影がちらついているかのようである。

 昔、山姥は山に棲む女とされた。山の奥には、恐ろしいすべてをむさぼり食う女が、あるいは妖艶で人を惑わす美女が、親切で人を手助けしてくれる老婆が、罰を加える恐ろしい神が、棲むと伝えられてきた。これから山姥の物語を見ていくが、そのなかで、母親面接のみならず、ひところ流行になったヤマンバ娘、さきごろ話題の熟年離婚、さらにはキッチンドランカー、虐待、一卵性母娘、摂食障害など、女性性をめぐる今日の様々な現象の中に、山姥の影が見え隠れしているのがわかってくるだろう。パンドラの箱を空けてしまったような現代において、山姥はもはや山の奥に潜んではおらず、あるいは閉じ込めておくこともできなくなって、すでに私たちの住む里に、街に降りてきているのである。

 そうした時代に生きる私たちであれば、山姥は、自分とは無関係な遠い昔の存在ではない。山姥は現代の私たち自身の中に息づいている。この本では、そういう存在として山姥を見つめ、ともに歩む努力をしてみたい。それは簡単なことではないが、私たちが自身に潜む山姥の存在をみとめ、しっかりと見つめない限り、山姥は得体の知れないものとして猛威を振るい、結果として多くのダメージをもたらしてしまうと考えられるからだ・・・・・・。