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木村朗子(さえこ)著

乳房はだれのものか
――日本中世物語にみる性と権力


四六判368頁

定価:本体3600円+税

発売日 09.2.6

ISBN 978-4-7885-1141-5


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◆「お父ちゃん」のものではありません!◆

ある年齢以上の方は、月亭可朝の「嘆きのボイン」を思いだされるかもしれません。本書はまさに、乳房は「お父ちゃん」のものか「赤ちゃん」のものか、女の側からいえば、「女の乳房か母の乳房か」を問うものであります。結婚して子供を産むことが即、権力につながった時代に、女たちは何を信じ、何を求めて生きたか。『源氏物語』『とはずがたり』『竹取物語』から『曾我物語』などに描かれた女性たち(乳母、召人、女帝・女院、……)の行動と信仰世界の斬新な読み直しを通じて、女たちの歴史に新たな展望を切り拓こうとします。著者は津田塾大学准教授。

◆目次
第一部 乳房はだれのものか
――母の問題機制

第一章 乳房はだれのものか
――欲望をめぐって
第二章 性の制度化
――召人の性をめぐって
第三章 母なるものの力

第二部 女帝が生まれるとき
――女たちの信仰
第四章 宮廷物語における往生の想像力
第五章 女帝が生まれるとき
――普賢十羅刹女像の構想力
第六章 女帝なるものの中世的展開

第三部 八幡信仰の構想力
第七章 八幡神像の構想力
――見えるものと見えないもの
第八章 女たちの信仰
――『曾我物語』の巫女語り
第九章 再び母へ
――『曾我物語』における〈子〉の背理

乳房はだれのものか あとがき

◆書評

2009年3月1日、信濃毎日新聞

2009年3月8日、日本経済新聞

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乳房はだれのものか あとがき

 本書のタイトル『乳房はだれのものか』は、はじめ学術論文として発表したものにつけたのだったが、それをみて「大阪出身の方ですか」と訊いた人がいた。私としてはぜんぜん知らなかったことだが、大阪の芸人、月亭可朝の「嘆きのボイン」(1969年)という歌があって、ある世代の人たちには、知らない人はいないほどのヒット曲なのだそうである。「ボインは〜、赤ちゃんが吸うためにあるんやでぇ〜、お父ちゃんのもんとちゃうのんやでぇ〜」。という冒頭を歌ってくれた、その人は「まさにこの歌の問題を扱ったわけですよね?」と私に問うた。「お父ちゃん」のものだったボインが、「赤ちゃん」にとられてしまったエレジーとしてこの歌があるのなら、なるほど、はからずも主題は同じだったということになるのかもしれない。乳房は「お父ちゃん」のものか、はたまた「赤ちゃん」のものかということは、女の側からいえば、まさに女の乳房か母の乳房かというフェミニズム的問いになる。そんなにヒットした曲ならば、どこかで聞いていて無意識が覚えていたのかもしれないとこじつけてみたくもなるほどである。

 編集の渦岡謙一さんは、編集作業も佳境に入ったある日「乳房というのは、つまり・・・・・・おっぱいのことですよね?」と口ごもられて、男性にはこのタイトルはちょっと刺激的すぎるとおっしゃった。むろん女性にとってだって、かなり言いにくい言葉にちがいなく、だからここにはほんの少しの悪戯と挑発をこめたつもりである。

 本書は主に中世の物語をみながら、女性の、母であることにかかわるさまざまな問題を扱ったわけだが、現在にもつづく、女か母かのフェミニズムの問いにたいして宮廷社会の性の配置はあらたに乳母の存在をつきつけてくる。つまり、乳房は、女のものでも母のものでもなくて乳母のものだという、まったく別の視界が拓かれたのである。そもそも、女性が歴史的に果たした役割については、1980年代以降の女性史研究などが徐々に明らかにしていったことで、比較的あたらしい視点であった。中世の物語は歴史資料とは異なって、女性の手に成り、女性について描かれているものだから、男性中心の歴史叙述を、複層化させていくのに格好のテクストであるはずだ。女たちは何を信じて何を求めていたのか。本書では女たちの軽やかでしたたかな構想力が様々に駆使されていたことがわかる。往生が半ば本気で信じられていた時代において、夢想することは単なる現実逃避ではない。来世を思い描くことが、生きることと密接につながっているのならば、女たちの求めた来世観は現実の女人観をも変容させていったのである。女たちは中世に女帝の統治を想像したが、それはついに実現しなかったものとはいえ、少なくとも女のイメージを変革したのである。

中世の女たちは逞しかったかもしれないが、それはおよそ千年近くも前の過去の出来事で、現在の私たちにはなんの関係もないのではないかという声もあるかもしれない。たしかに女、母などはイメージに彩られ、時代によってさまざまに意匠を変えて語られるものである。しかしだからこそそれとは別のイメージを持つことは、こと女性らしさをいうジェンダーの問題にとって重要である。女帝像一つをとってもさんざんに書き換えられたではないか。中世の女性像が、現代にはないあらたなイメージの可能性を拓くことになるだろう。

本書は、古典文学研究だけではなく、広く、女性学、女性史研究、宗教学にまたがる領域にあると考えている。学術論文として公刊したものは初出一覧に掲げたとおりであるが、しかしそれらもまた、ほとんど元の形をとどめていないものが多い。古典の引用に現代語訳は付さなかったが、これを飛ばして読んでもわかるように工夫してある。中世の文学に馴染みのない読者にも広く読まれたらうれしく思う。・・・・・・(著者あとがきより)