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ジョン ・H・ リーンハード 著/中島由恵 訳

『発明はいかに始まるか』
――創造と時代精神


08.11.4

978-4-7885-1138-5

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46

472頁

定価4725円

◆発明というインパクト!◆

活版印刷術を発明したグーテンベルク、蒸気機関のワット。知らない人はいな いくらいですが、実は彼らは、それらの発明のいわば代表なのです。当時もそ の前にも、失敗にくじけず挑戦し続けた無数の人たちがいました。発明は一人 の天才から生まれるというよりは、膨大な人びとの創造的営みの連鎖と、それ を後押しする時代精神から生まれます。そして社会に、誰も予想できなかった インパクトを及ぼします。蒸気機関は、あくなきスピードへの希求をもたらし ました。印刷術は安価な本を大量に提供し、知識伝達のメディアとなって近代 的「教育」を生み出しました。さて、日本人が一度に4人もノーベル賞を受賞 しましたが、我々の時代精神は、何を生み出そうとしているのでしょうか?  著者はヒューストン大学名誉教授。

John H. Lienhard,HOW INVENTION BEGINS Echoes of Old Voices in the Rise of New Machines.Oxford Univarsity Press,2006.


◆目次
第1章 エッツィ、そして静かな幕開け
第2章 先取権という、仮借ない存在
第3章 私はライト兄弟よりも先に飛行機を作った
第4章 蒸気の発明
第5章 蒸気から蒸気機関へ
第6章 蒸気機関から熱力学へ
第7章 スピードの発明
第8章 発明の動機と指数関数的変化
第9章 グーテンベルクを発明する
第10章 グーテンベルクから新しい読み書きの世界へ
第11章 現実を図解する方法の発明
第12章 高速印刷機、書物の価格低下、そして昔の読者たちの亡霊
第13章 教育の発明
第14章 発明の軌跡は弧を描く

◆日本語版への序文
日本の読者にご挨拶できることを心から光栄に思う。ここで私たちが一緒に目指しているのは、発明のプロセスに対する見方を形作ることである。歴史をさかのぼって発明がどのように現れたのかを学ぶことで、発明が私たちの内部にどのように現れるのかを誰もが深く理解できるようになる。
 私は西洋的な観点から物事を見ているが、そのことは説明についての理解を共有する上で、全く影響がないはずである。発明というものの本質には、文化の違いはほとんどない。遅かれ早かれ、民族を問わず発明がその最高潮を迎えていることに気づくものだ。そして今日、日本は驚異的なまでに発明のエネルギーに満ちている。本書では、東洋からの歴史上の例はわずかしか取り上げていない。しかし今日、東洋の国々はこれまでに例をみないほどの、全速力といった勢いで発明を行っている。
 本書を通して、発明のもつ文化を形作る上での本質的に集合的な性質を見ていくことになる。発明者個人の功績を退けるつもりはないが、発明者を発明のプロセスの全体の中に位置づけようとしているのである。素晴らしい技術が現れる前には、その時代特有の精神が、人びとをとらえている。新しく実用化された技術は、ある一人の手によって、突然目の前に登場するように感じられるかもしれないが、それは長い波の頂点にすぎない。もしその波の頂点にしか眼を向けないならば、それがどのように現れたかを知ることは決してできないだろう。本書では、たとえばグーデンベルグや印刷本が誕生するまでの長い一連の出来事について記している。とはいえ私は、それらについて語ったのとまったく同じように、トランジスタラジオとその登場から派生したものすべてが生み出される際に、日本においてアイディアと人びとのエネルギーが蓄積していった様子について語ることもできた。取り上げた例に価値があるのは、それらが独自性を持っているからではない。むしろ共通性がある、つまりすべての社会において起こることを反映しているからである。
 本書で取り上げたもうひとつの例は、17世紀から18世紀の西ヨーロッパにおける蒸気機関の文化の勃興である。数千年の間、ヨーロッパは動力技術を基盤として経済を発展させてきた。始めは水車、次に風車がその役割を担っていた。これらの技術は中国やアラブ世界で生まれたアイディアを押し進めたものだが、このとき特別な時代精神が西ヨーロッパの人びとの間に生じていた。
いちど蒸気機関を手にしてしまうと、振り返ってその到来を予知することはそれほど難しくない。しかし、船に乗って海に出ているとき、足元を通り過ぎている高波に気がつくことはまずない。そして私は、日本が今、独自の高波に乗っているだろうと思う。それは20世紀に発展した自動車やトランジスタを使用した製品のことではなく、まったく新しい何かである。
 それが何であるか、まだ分からない。それでも、自由な精神を持ち、自分にはよりよい未来を創造する力があるという自信に満ちた人びとがいることは、確かにわかる。このエネルギーの果実は、今は予測できない。これまでどんな社会においても予測できなかったのと同じである。ごく数人の鋭い目を持った発明者が、これまでもそうであったように、あの未來やこの未來についての可能性のわずかな兆しを掴むだろう。そして、彼らはその未来にかけるのである。
 このプロセスで奇妙なのは、いつも結果は誰もが予測しなかったものになることである。1950年代に現在のソニー株式会社がトランジスタの使用許諾をとったとき、井深大と盛田昭夫が実際にトランジスタの未来をどう見ていただろうか。それがどれほど多くのものを私たちにもたらしてくれるか、そしてそれを軸にいかに世界が展開していくか、当時の彼らにはまったく思いもよらなかっただろう。
 こういった問題について、これから理解を深めていくことにしよう。そして、日本の読者の皆様がこの本のページを繰りながら、いったい何が明らかになるだろうと――私たちが共有している太平洋の西側の縁で今正に形作られつつある技術は、この先どのようになっていくのだろうかと――問いかけながら読んでいただけることを考えると、私はとりわけ励まされる思いがする。
最後に、この本を出版していただく新曜社に感謝を申し上げる。また、本書を日本語に再創造してくれた翻訳者の中島由恵さんの配慮にも感謝したい。

ジョン・H・リーンハード
               

2008年8月30日

はじめに
 ミュージカル『ファンタスティックス』は、語り手兼舞台回しが登場人物を紹介してショーが始まる。それから登場人物たちを動き出させるのだが、そのとき素敵な台詞が語られる。「物事がどんなふうに始まるのかとお思いでしょう。そう、これはとある深い谷で始まるのです。ウッドチャックが求愛し、ツタが恋人同士のように絡まり合う森の中で始まるのです」。
 われわれの生活の中で重要なものたちも、こんなふうに始まる。それはひそやかで、眼に見えない。バンドが高らかに音楽を奏でる船の進水式や、宇宙ロケットの打ち上げとは違う。その船は、一人の学生が海に突き出た岩礁に腰かけて、眼下の入り江でボートがゆらゆらと動いているのをじっと見つめていたときに、あるいは、海の話を本で読んでいたときに着想されたものかもしれない。ひょっとすると、サターンロケットの始まりは、アメリカ独立記念日の花火を見た子どもにさかのぼるかもしれないし、またはSF漫画『バックロジャーズ』や『フラッシュ・ゴードン』を読んで、『自分にも作れるのでは?」と思ったことがきっかけだったかもしれない。発明が発酵するのは思いついた人の頭の中だけであるが、その人の属する共同体の声によって駆り立てられもする。
 やがて、先行する捉えられることのできない要素がすべての発明の周りに漂っていることに気づくが、その存在を感じ取ることはできても、その跡をたどるのは大変難しい。どんな新しいものの創造も、ようやく人びとがそれに先取権を認めるころには、先行したものはそのほとんどが失われてしまっている。発明は人間の精神の強力な一部分だ。しかし、その肌触りと形態とは、よくこんなふうだと説明されるイメージとはずいぶん異なっている。人は誰でも、世界に創造的な改善をもたらしたいと望んでいる。そのこと一つをとっても、こうして発明の意味を解き明かすために時間を割く価値がある。
発明はいつでも人類とともにあったし、いつもさまざまなアイディアが共有され相乗効果が起こっていたという主張はまさにそのとおりで明白ではあるが、しかし、発明が本当は何からなるのかを知るためには、こういうもっともな主張をするだけでは足りない。一見矛盾する二つの事実――個人の創造的行為と人びとに共有された後押しが同時に存在すること――を、心底から納得し、結びつける必要がある。もしこの矛盾を受け入れないなら、いとも簡単に排中律の、あまりに単純化された見方に落ちってしまいかねない。つまり二者択一を要求して、一つの結果に複数の説明を加えることを拒否するのだ。
 発明について考える場合、その因果関係は非常に複雑に織り合わされている。だからこそ発明は、人びとに共有された考えの発現あると同時に、一人の天才の表現でもあるという、一見筋の通らないことを受け入れることから始めたほうがよいのである。いちど意識的に常識を留保すれば、個人と共同体とがどのように一つの原因における二つの側面を形成しているかを探求するスタートラインに立つことができる。
 このプロセスに取り掛かるにあたって、高速道路に乗って説明を急ぐよりも、むしろ小道を歩むように逸話を見て行くことに時間をかけてみよう。読者にも民間説話や歴史をたどるたびに加わってもらいたい。物語のモザイクとたわむれているうちに、散らばったタイルから一つの絵が浮き上がってくるだろう。そして――混沌の状態だったアイディアが、一つの統合された状態へと姿を変えていくことによって――発明というものが、発明者の目の前に現れるのと同じ姿で現れ出るのを待ってみよう。
 この道をたどっていくうちに、(私の試みがうまくいけば)膨大な量の発明の連鎖が技術の全体を生み出していることがよく理解できるようになるだろう。発明という言葉は、あまり深く考えずに、飛行機、蒸気機関、印刷書籍などの技術に対して使われている。先に少しだけ明かしておくと、最終章で、このような巨大な発明の集合を記述するために、私は新しい言葉を提案することになる。そうすることで、発明という素晴らしい言葉を、誰もが日常の中で繰り返し行っている貢献を指す言葉として取っておくことができるのだ。
 実際、発明の集合は、それにとどまらない。たとえば、やがてわかるように、大勢の人びとが発明の才能を結集させて、飛行機、鉄道機関、自動車といったものよりもさらに大きな何かを創り出した。集合的な欲望、陶酔と欲望の噴出、時代に特有な気分――いわゆる、時代精神――が、発明者たちを捉えていた。彼らが揃って創り出そうとしていたものは、スピードそのものだったのである。
 同じように、書物の印刷術という驚くほど複雑な技術は、われわれがあ書物に求めるもの――書物が与えてくれる知識、あるいは学習――に触れることもなくその跡をたどるこはとうていできない。ところで、スピードや教育を発明と呼んでよいのだろうか。私の考えでは、これらをそう呼ぶことは、ラジオや電話を発明というのと同じくらい何の無理もない。
 こういった問題に取り組むのは、まさに次々と新しい世界開かれていく発見の旅である。その道すがら、たくさんの人びとに大いに助けていただいた。最初に名前を挙げたいのは、妻キャロルである。各章の草稿が書きあがるたびに読み、コメントしてくれた。美術史・建築史学者のマーガレット・カルバートソンは、原稿をすべて読み、背景知識について数々助言をしてくださり、挿画の出典について教えてくださった。医療史学者ヘレン・ヴァリエ(とご母堂)も原稿のすべてを読み、詳細かつ非常に有益なコメントをしてくださった。特定の章を読み、助言をくださったたくさんの人びと――ジョイス・デルラッキ、スティーヴン・ミンツ、ジェームズ・ピプキン、アンドレア・サトクリフ、そして匿名の三人の外部査読者の皆様にも感謝したい。
 オックスフォード大学出版局の有能なスタッフにもお礼を申し上げたい。編集者のピーター・プレスコットには、現在も支援と適切な助言をいただいている。彼のアシスタントを務めるケイティ・チェンは、本の制作プロセスにおける多くの障害を克服して、本の出版までを滞りなく導いてくれた。プロダクション・エディターのヘレン・ミュールズは、奥ゆかしい仕事ぶりで生原稿を今のような形に完成させてくれた。コピー・エディターのスー・ワーガの敏腕にも感謝している。そしてお名前は存じ上げないが、てきぱきと本の制作に関わってくださったすべての人びとにもお礼を申し上げたい。また、寛大な同僚たち、サラ・フィッシュマン、バーバラ・ケンプ、キャサリン・パターソン、スティーヴン・パーキンズ、ルイス・ウィラーには、現在も引き続き有益な助言をいただいており、身にあまる光栄である。これらの方々のほかにも、適切にお名前を挙げることができなかった大勢の人びとが、本の出版に至る過程で協力してくださった。最後に、ラジオ局KUHF−FMヒューストンのスタッフには、今もきめ細やかな支援をいただき感謝している。
 では、読者の方々にも、旅の仲間に加わっていただこう。『ファンタスティックス』の語り手が言うように「物事がどんなふうに始まるのかとお思いでしょう」。さて、どこかしらから始めなくてはいけないのだから、そびえたつ山の尾根から始めてみよう。それは5300年前のこと・・・・・・。

2006年1月10日 ジョン・H・リーンハード