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新形信和 著

『日本人の〈わたし〉を求めて』
――比較文化論のすすめ


四六判250頁br>

定価:本体2400円+税

発売日 07.10.25

ISBN 978-4-7885-1077-7




◆日本人の〈わたし〉とは◆

デカルトを持ち出すまでもなく、西欧人の思考や文化の基底には確固とした主 体としての〈わたし〉があります。それに対して、日本人の〈わたし〉はどの ような〈わたし〉で、その違いは? 抽象的になりがちな原理的問題に、本書 は、ヴェルサイユ宮殿と桂離宮を周遊する身体の違い、ルネサンスの透視画法 と日本の絵巻物などの伝統的絵画を成立させる視点の違い、西欧のゴシックの 聖堂と日本の寺院の伽藍配置の対照、挨拶のことば、武術の極意などの具体例 をとおして迫り、わかりやすく解き明かします。グローバル化の時代を生きる 日本人のために必須の指針を提示する「比較文化論」の勧めです。

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◆目 次◆
一章 日本文化と西欧文化における視点のありかたの違い--桂離宮とヴェルサイユ宮殿の庭園
二章 見ることについて--〈わたし〉はどこにいるか
三章 〈わたし〉は世界の外に出る、〈わたし〉は世界のなかを動く--透視画法と日本画
四章 日本人の〈わたし〉のありかた--挨拶と自称詞
五章 世界の外にでた〈わたし〉には世界の内部が見えなくなる--仏像のまなざし
六章 日本の伝統武術における〈わたし〉の行方--弓術と剣術
七章 〈わたし〉のありかたと宗教は対応している--ケルン大聖堂と浄瑠璃寺
八章 神に支えられた〈わたし〉、自然のなかに溶けこんでいる〈わたし〉--「神の目」と「見れば・・・見ゆ」
補 論 デカルトと西田幾多郎
一章 〈わたし〉は世界の外に確固不動の一点として存在する--デカルト
二章 〈わたし〉は純粋経験のなかに没している--西田幾多郎

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