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ポール・リクール 著
記憶・歴史・忘却 下
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05.05.12 4-7885-0947-4
下巻目次 はしがき 第一部 記憶と想起について 全体のみちしるべ 第一章 記憶力と想像力 ギリシアの遺産/記憶力の現象学的素描/回想とイマージュ 第二章 訓練される記憶力-慣用と濫用 人為的記憶力の濫用/自然的記憶力の濫用 第三章 個人的記憶、集合的記憶 内的視線の伝統/外的視線/回想の帰属する三つの主体 第二部 歴史・認識論 プレリュード 歴史-薬か毒薬か 第一章 史料的局面-記録文書化された記憶 住まわれる空間/歴史的時間/証言/記録文書/史料的立証 第二章 説明/理解 心性史の昇格/何人かの厳密さの師/尺度の変更/心性観念から表象観念へ/表象の弁証法 第三章 歴史家の表象 表象と物語行為/表象とレトリック/歴史家の表象とイマージュの魅力/代理表出 訳者あとがき 索引 |
A5上 368頁 定価4725円(税込) |
◆赦しえないものを赦せるか?◆ 欧米の思想界に巨大な波紋を投じ、日本では2000年に「京都賞」を受賞し た大著が完結いたします。フーコー、セルトー、ブローデルなどの歴史家と 「自己内対話」しつつ歴史認識の問題を論じた上巻につづき、下巻では、ハイ デガー、アーレント、ベルクソンなどの哲学者との「対話」をとおして、ニュ ルンベルク裁判をめぐる歴史家論争、記憶の条件としての「忘却」などを論じ、 「困難な赦し」にいたります。われわれが直面する困難を最も高いところで超 えようとする強靱な思考がここにあります。◆本文紹介◆ 私はこの第三部を、忘却という現象を探ることで締め括ろうと考えた。忘却という語は本書の表題に、記憶と歴史とまったく同じ資格で出ている。たしかに忘却という現象は、過去に関する諸現象のうちのこの二大類別と同じ規模を持つ。忘却において失われるのは、記憶と歴史という二つの次元での過去である。記録文書、博物館、都市-これら過ぎ去った歴史の証人たち-の破壊は、忘却に匹敵する。痕跡が存したところに、忘却も存する。だが忘却はただ記憶と歴史の敵というだけではない。私が、もっとも執着しているテーゼの一つは、保留された忘却(un oubli de reserve)というものがあって、それは忘却と記憶の歴史のための手段とする、というものである。といってもこのギガントマキアの収支決算書をつくるのは不可能であるが。忘却のこの二重価を理解するには、忘却にまつわる問題群全体を、われわれの時間との関係全部の底にひそむ歴史的条件のレベルにまでもたらせねばならない。忘却こそは、歴史的条件全体の脆弱さの象徴である。以上を考慮するなら、忘却の章を本書の解釈学的部分に、存在論的解釈学の後におくことが正当化される。一つの問題系から別の問題系への移行は、その前の章の最後の節で、記憶と歴史の関係全体を再検討することによって準備されていよう。こうして本書のはじめに掲げられた三つ組は、忘却についての章でもって閉じられる(第三章) 新曜社 リクールの本 ポール・リクール論 |