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貴戸理恵 著


不登校は終わらない?!
 ――〈選択〉の物語から〈当事者〉の語りへ


四六判330頁

定価:本体2800円+税

発売日 04.11.25

ISBN 4-7885-0927-X

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◆〈当事者〉にとっての不登校とは?◆
不登校(登校拒否)は主に二つの物語によって語られてきました。子供は学校 に行くべきであり、不登校は「病理・逸脱」であるとするものと、学校に行く 行かないは自分で「選択」できるというものです。長い不登校の後復学して、 現在大学院で社会学を専攻する著者は、不登校をめぐるこの「病理・逸脱」と 「選択」の物語になじめず、同じ不登校を経験した人たちへのインタビューを 通して、これらのわかりやすい物語から漏れ落ちてしまう「ノイズ」を丹念に 拾い集めて、〈当事者〉にとって不登校とは何だったのか、そして現在何であ るのか、を言語化します。〈当事者学〉の新しい展開を示す力作です。

◆東京シューレによる「貴戸理恵著『不登校は終わらない』に対する見解」へのコメント
→ コメント

◆書評
2004年3月19日、図書新聞、内藤朝雄氏評
2005年1月30日、朝日新聞、苅谷剛彦氏評
2005年3月1日、週刊現代、上野千鶴子氏評

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◆目 次◆
はじめに
第一章 方法としての〈当事者〉
「不登校」とは何か/〈当事者〉とは誰か/不登校にも「〈当事者〉学」を/物語論との共通点と差異/「世にも美しいフィールドワーク」?
第二章 〈非当事者>による不登校論
誰が、どのように不登校を「問題」とするのか/「偏った性格傾向」から「どの子にも」へ、そして「容認行き過ぎ」へ/不登校は病気ではない/不登校は自由のはきちがえ/不登校は進路の問題/治療を要する不登校もある/「子育て落伍者」からの脱却/〈当事者〉の不在
第三章 〈当事者〉による不登校論
「〈当事者〉にとっての不登校」をとうために/『不登校に関する実態調査』の意義と限界/対象と方法/ケース・レポート/「社会に出る」ってどういうこと?/不登校を「選択」というのは「誰」?/「〈当事者〉の物語」を超えて
第四章 「選択」の物語から〈当事者〉の語りへ
不登校と「選択」の物語/「〈当事者〉であることの」の意味
おわりに


◆本文紹介◆
私はここで「不登校は厳しく批判されるべきではないが、積極的の肯定し賛美するようなものでもない」というような、「否定」派・「肯定」派からともに距離をとった「中道の」―「中立の」―立場から発言しようとしているのではない。以下で私が試みたいのは、〈当事者〉の代表=代弁(representation)とは異なる「〈当事者〉による、〈当事者〉の語り」としての、新たなテクストの生成である。そこにおける問いは、「不登校とは何か」「不登校問題を解決するにはどうすればよいか」というものではなく、「不登校者にとって不登校とは何か」というものとなるだろう。「不登校者にとっての不登校」を問うことは、すなわち、これまでの不登校論が「誰による、誰にとっての」ものであったかを問い、不登校について語ってきたさまざまな行為者たちを、この問題をめぐる相互関係の位置性(postionality)において浮かび上がらせることでもある。…中略…
「心の問題」から「進ろの問題」へ。このことは、不登校の「肯定」が、「学校に行けない苦しみ」からの〈当事者〉の解放や、「子育ての落伍者」としての〈親〉のアイデンティティの回復に加えて、不登校後のライフコースや生活環境など「その後の生き方」を含めて「肯定」する必要として迫ってくる状況の到来を意味している。このニーズがより切実であるのは、〈親〉よりも〈「居場所」関係者〉よりも、まず〈当事者〉にとってであろう。 「かつての不登校経験は。その後の生活のなかで、いったいどんな意味を持っているのか?」それを〈当事者〉がみずから問い、語る必然性が、生まれ始めているのだ。(「はじめに」より)

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