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ポール・リクール 著
記憶・歴史・忘却 上
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04.08.20 4-7885-0911-3
◆目 次◆ 第三部 歴史的条件 プレリュード 歴史の重荷と非歴史的なもの 第一章 歴史の批判哲学 「歴史それ自体」/「われわれの」近代性/歴史家と裁判官/歴史における解釈 第二章 歴史と時間 時間性/歴史性/時間-内-存在と歴史の弁証法/歴史の不気味さ 第三章 忘却 忘却と痕跡の消失/忘却と痕跡の存続/想起の忘却-慣用と乱用 エピローグ 困難な赦し 赦しの方程式/赦しの精神のオデュッセイア-諸制度の横断/赦しの精神のオデュッセイア-交換の仲介/自己への回帰/帰路-要店のまとめ テーマ別索引 人名と引用書名索引 原題:LA MEMOIRE,L'HISTOIRE,L'OUBLI Paul Ricoeur 2000 |
A5上 456頁 定価5565円(税込) |
◆アウシュヴィッツの後で歴史はいかに可能か?!◆ 欧米の思想界に巨大な波紋を投じ、日本では2000年に「京都賞」を受賞した大
著、読者待望の登場です。 ◆本文紹介◆ 本書はテーマと方法によってはっきりと区切られた三部から成る。記憶力と記憶現象とに当てられる第一部は、語のフッサール的な意味で、現象学の庇護のもとにおかれる。歴史に当てられる第二部は、歴史科学の認識論に属する。忘却についての省察で頂点に達する第三部は、われわれ人類の歴史的条件の枠に入る。 各三部は方向づけられたコースによって展開し、そのコースはそのつど三拍子から成る。たとえば記憶力の現象学は慎重に、記憶力の対象、すなわち心がかかえる回想のほうに向けられる分析ではじまり、次ぎにその現象学は回想、アナムネーシス、想起を探求する段階を経て、最後に、所与の記憶力、訓練された記憶力から反省された記憶、自己自身の記憶へと移っていく。 認識論のコースは、歴史叙述操作の三つの局面に応じる。それは証言と記録文書の段階から、説明と理解の形態における「なぜならば」の使用に移り、最後に、歴史家の表象の書記的平面で終わる。 歴史的条件の解釈学もやはり三段階を経る。第一段階は、ある種の知の驕りがさまざまな仕方で犯す歴史的認識の限界に注意を払う歴史の批判哲学、批判的解釈学の段階である。第二は存在論的解釈学の段階で、それは歴史的認識の実在論的条件を一緒に構成している時間化の諸様態を探索することに専念する。記憶と歴史の足もとを掘り下げると、忘却の帝国が開かれる。それは痕跡の決定的な消失の脅威と、アナムネーシス(想起)の資源が保留されているという核心に図らずも分裂している帝国である。 しかし、以上の三部が三冊の本をなすわけではない。三本のマストは、たがいに絡み合ってはいるが、別々の帆をかかげており、三本のマストはただ一度の航海をするべく、同じ船に属しているのである。事実、共通の問題系が記憶力の現象学、歴史の認識論、歴史的条件の解釈学を貫いている。過去の表象という問題系である。その問題は、記憶力の対象面を探求しはじめるや否や、その根本から提起されてくる。すなわち、先在であるという印を押された不在のものが現前として与えられるイマージュ-プラトンからアリストテレスにならってていえば、eikon(似像)-の謎はどうなのか、である。同じ問題は、証言の認識論にも、次に説明/理解の特権的な対象とみなされる社会的表象の認識論にも一貫している。それは社会的表象が歴史的過去を、出来事(evenements)、局面状況(conjonctures)、構造(structures)というように区切る、書記的表象の平面で展開するからである。最初のeikonの謎は、章を追うごとに深まっていく。記憶力の領野から歴史の領野へと移ると、歴史的条件の解釈学にいたって、その謎は頂点に達する。そこでは過去の表象は、忘却の脅威に曝されるが、忘却の庇護に託されもするのである。(「はしがき」より) |