『発達障害の就労とキャリア発達』、2023年度日本コミュニティ心理学会出版賞受賞 - 2024.03.25
〈民主〉と〈愛国〉
戦後日本のナショナリズムと公共性
◆書評
2002年11月21日付、東京新聞、茅住ヤヒロ氏評
2002年11月24日付、読売新聞、井上ひさし氏評
2002年12月8日付、読売新聞、橋本五郎氏評
2002年12月20日付、週刊金曜日、佐高信氏評
2002年12月22日付、読売新聞、橋本五郎氏評
2002年12月22日付、日本経済新聞、橋爪大三郎氏評
2002年12月23日付、公明新聞、橋爪大三郎氏評
2003年、ダカーポ
2003年、神奈川大学評論第44回、橘川俊忠氏評
2003年、理戦、谷川健一氏評
2003年1月、STUDIO VOICE
2003年1月、出版ニュース
2003年1月、歴史読本
2003年1月、論座、長山靖夫氏評
2003年1月、論座、カイ秀実氏評
2003年1月、論座、原武史氏評
2003年1月、沖縄タイムス等
2003年1月5日付、信濃毎日新聞、都築勉氏評
2003年1月5日付、東京新聞、島田雅彦氏評
2003年1月7日、週刊エコノミスト
2003年1月12日付、産経新聞、稲垣真澄氏評
2003年1月12日付、朝日新聞、与那原恵氏評
2003年1月16日付、新聞
2003年1月17日、週刊読書人、上野千鶴子対談
2003年1月20日付、毎日新聞、瀬戸純一氏評
2003年1月21日、人民の里
2003年1月24日、週刊読書人、上野千鶴子対談
2003年4月、日経WOMAN
2003年4月5日、東京新聞、三沢典丈氏評
2003年4月5日、東洋経済増大号、鹿島信吾氏評
2003年5月19日、毎日新聞、高橋豊氏評
2003年6月、外交フォーラム
2003年7月20日、わだつみのこえ、松浦勉氏評
2003年9月9日、朝日新聞、小熊英二氏インタビュー(高橋純子氏)
2003年11月3日、毎日新聞、今村仁司氏評
2003年12月11日、朝日新聞
2003年12月12日、朝日新聞
2003年Winter、Sight、稲葉振一郎氏評
2004年2月、論座
2004年12月、くらしと教育をつなぐWe、冠野文
2014年11月、書標
第1章 モラルの焦土――戦争と社会状況
セクショナリズムと無責任/軍需工場の実態/組織生活と統制経済/知識人たち/学徒兵の経験/「戦後」の始まり
第2章 総力戦と民主主義――丸山眞男・大塚久雄
「愛国」としての「民主主義/総動員の思想/「国民主義」の思想/「超国家主義」と「国民主義」/「近代的人間類型」の創出/「大衆」への嫌悪/屈辱の記憶
第3章 忠誠と反逆――敗戦直後の天皇論
「戦争責任」の追及/ある少年兵の天皇観/天皇退位論の台頭/共産党の「愛国」/「主体性」と天皇制/「武士道」と「天皇の解放」/天皇退位と憲法/退位論の終息
第4章 憲法愛国主義――第九条とナショナリズム
ナショナリズムとしての「平和」/歓迎された第9条/順応としての平和主義/共産党の反対論/「国際貢献」の問題
第5章 左翼の「民族」、保守の「個人」――共産党・保守系知識人
「悔恨」と共産党/共産党の愛国論/戦争と「リベラリスト」/オールド・リベラリストたち/「個人」を掲げる保守/「世代」の相違
第6章 「民族」と「市民」――「政治と文学」論争
「個人主義」の主張/戦争体験と「エゴイズム」/「近代」の再評価/共産党の「近代主義」批判/小林秀雄と福田恒存「市民」と「難民」
第7章 貧しさと「単一民族」―一九五〇年代のナショナリズム
経済格差とナショナリズム/「アジア」の再評価/反米ナショナリズム/共産党の民族主義/一九五五年の転換/「私」の変容/「愛する祖国」の意味
第8章 国民的歴史運動――石母田正・井上靖・網野善彦ほか
孤立からの脱出/戦後歴史学の出発/啓蒙から「民族」へ/民族主義の高潮/国民的歴史学運動/運動の終焉
第9章 戦後教育と「民族」――教育学者・日教組
戦後教育の出発/戦後左派の「新教育」批判/アジアへの視点/共通語普及と民族主義/「愛国心」の連続/停滞の訪れ
第10章 「血ぬられた民族主義」の記憶――竹内 好
「政治と文学」の関係/抵抗としての「十二月八日」/戦場の悪夢/二つの「近代」/「国民文学」の運命
第11章 「自主独立」と「非武装中立」――講和問題から55年体制まで
一九五〇年の転換/アメリカの圧力/ナショナリズムとしての非武装中立/アジアへの注目/国連加盟と賠償問題/「五五年体制」の確立
第12章 六〇年安保闘争――「戦後」の分岐点
桎梏としての「サンフランシスコ体制」/五月十九日の強行採決/戦争の記憶と 「愛国」/新しい社会運動/「市民」の登場/「無私」の運動/闘争の終焉
第13章 大衆社会とナショナリズム――一九六〇年代と全共闘
高度経済成長と「大衆ナショナリズム」/戦争体験の風化/「平和と民主主義」への批判/新左翼の「民族主義」批判/全共闘運動の台頭/ベトナム反戦と加害
第14章 「公」の解体――吉本隆明
「戦中派」の心情/超越者と「家族」/「神」への憎悪/戦争責任の追及/「捩じれの構造」と「大衆」/安保闘争と戦死者/国家に抗する「家族」/「戦死」からの離脱
第15章 「屍臭」への憧憬――江藤 淳
「死」の世代/没落中産階級の少年/「死」と「生活者」/「屍臭」を放つ六〇年安保/アメリカでの「明治」発見/幻想の死者たち
第16章 死者の越境――鶴見俊輔・小田 実
慰安所員としての戦争体験/「根底」への志向/「あたらしい組織論」の発見/「難死」の思想/不定形の運動/他
結論
戦争体験と戦後思想/戦後思想の限界点/戦争体験の多様性/「第三の戦後」/「護憲」について/言説の変遷と「名前のないもの」
装幀=難波園子
〈民主〉と〈愛国〉―序章
「本書で「戦後思想」と述べているものは、戦争体験をもつ「戦後知識人」から生み出された思想である。本書の検証で明らかになるように、「戦後思想」とは、戦争と敗戦の体験をいかに言語化し、思想化するかの営為だったといっても過言ではない。そのため、戦争体験をもたない知識人とその思想は、本書でいう「戦後知識人」「戦後思想」に入らない。そのため、戦後生まれ世代によって行なわれた全共闘運動は、主たる研究対象には含めなかった。」
「くりかえし述べるが、「戦後思想」とは、戦争体験の思想化であった。にもかかわらず、これまでの戦後思想研究の大部分は、知識人たちの戦争と敗戦の体験がいかなるものであったのか、そしてそれが戦後思想にどんな影響をもたらしたかについて、十分な検証を行なってこなかった。本書は各章の検証において、この点を重視している。それは結果として「『日本人』にとって戦争とは何であったのか」という問題、そして「戦争の記憶とはいかなる影響を人間に及ぼすものなのか」という問題を、思想という観点から明らかにする作業となろう。」
「本書のめざすところは、こうした「戦後思想」の姿をよみがえらせ、その継承すべき点を評価するとともに、その限界と拘束を超えることである。そのため本書では、戦後思想を現代の言葉から性急に批判することよりも、まず当時においてそれが表現しようとしていた心情を明らかにし、その最高の部分を再現することに努めた。ある思想の限界を越えるにあたり、その最低の部分を批判することではなく、その最高の部分を再現しつつ超えることによってこそ、その拘束から解放されることが可能になるからである。」