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神、人を喰う―― 人身御供(ひとみごくう)の民俗学

◆サントリー学芸賞受賞の言葉

六車 由実(むぐるま ゆみ)(東北芸術工科大学東北文化研究センター研究員)

ラオスからの帰国の飛行機のなかで、このことばを書いている。私が現在勤務している東北文化研究センターで今年から始まった焼畑プロジェクトの共同調査のために、ビエンチャンとルアンパバンを訪れていたのである。初めて目にする熱帯の焼畑は、私の想像をはるかに越えてとても豊かで、感動的だった。山の斜面を焼いた畑には、陸稲だけでも10種類近くの稲が育てられ、その隙間には、ハトムギ、バナナ、ウリ、トウモロコシ、ゴマなどさまざまな植物が栽培されている。そして、それにひきつけられてやってきた動物たちもまた人々の食糧になるのだ。一見すると雑草だらけで粗放な畑に見えるが、実はここは、どれも無駄というものはひとつもない、宝の山のような豊かな稔りの広がりであった。

焼畑で生きてきた人々は、近代的感性におかされた私たちに比べ、どのようにすれば自然を傷つけずに保てるのか、そうした自然のしくみを経験的によく知っている。多様な植物が栽培されたこの山の土地は、何十年か後にはまた自然の森に返されていくのである。私は、私が捜し求めてきた、自然と人とのかかわりかたのひとつのあり方を、このラオスの焼畑に見たような、そんな感慨を覚えた。

移り気の早い私の関心は、すでに今、こうした焼畑の問題に移りつつある。けれど、それを支える大元にあるのは、拙著『神、人を喰う』を執筆することを通して明らかになった確かな問題意識であると言える。人身御供の物語やそれを伝承する祭に私がみようとしたのは、人間が本来もっていた、自然のなかで生きていくための掟のようなものだった。すなわち、人間が生きていくことは、生き物の犠牲のうえに成り立っているのであり、そこでは人間もまた喰われることで生き物に生を与える存在である、という掟である。人々は、神に喰い殺されるという恐ろしい人身御供の物語を長い間語り継いでいくことで、そうした本来人間がもっていた自然の掟を、生のリアルな実感としてからだのなかに呼び覚ましてきた。そして、本書の執筆を通して、何よりも私自身が、自らのからだのなかに、そうした生きていることの確かさを取り戻そうとしてきたように思う。

今、私は、東北にいる。東北という場所を基点に、焼畑について、あるいは自然と人とのかかわりについて考えようとしている。それは、また、私自身の生の確かさを求める旅の続きでもあるのだ。まだ先の見えないはるかな旅ではあるが、その出発点である『神、人を喰う』に本賞をいただいたことは何よりも光栄である。これを励みにして、また一歩一歩、この先へと向かって歩き始めたいと思う。


◆『神、人を喰う』サントリー学芸賞受賞・選評

鷲田 清一(大阪大学教授)評

まだまだ荒削りの面もなくはないが、溌剌としているというか、なんとも威勢のいい民俗学研究者の登場である。

六車さんの研究者としての志はひじょうに明快だ。それは、事象の「毒気」や「臭気」を抜き取らないような研究をしつづけること。 六車さんがそうした「毒気」や「臭気」を、激しいおののきとともにからだ全体で受けとめることになったのは、人身御供という習俗に出会うことによってである。獣の生け贄の儀礼を目の当たりにし、人身御供の説話を耳にしたときの、あのおぞましさ、うとましさ、怖ろしさの感覚を最後まで手放すことなく、その残虐性の根に、ひとがじぶん自身が喰われうる存在であることの恐怖を見て取り、そこから問題を建てなおす。

そのとき、彼女がなにより避けるのは、共同体の秩序維持のために導入される暴力的儀礼といった「合理的」説明への、事実の回収である。おぞましさや畏れといった「負の感情」を昇華して、当たり障りのないものへと回収するような「研究」のなかで見失われるもの、放棄されるものにこそ、執拗なまでにこだわりつづける。
生贄という民俗学的事象をめぐって、まずは、大森貝塚の発掘調査から日本人の祖先に人喰い人種がいたとする「モースの食人説」が呼び起こした反響と、皇居の地下で発掘された立ち姿の人骨をめぐる「皇居の人柱事件」の消息から説き起こす。そしてこの忌まわしい主題に対する先達たちの反応をクリティカルに受けとめたうえで、人身御供祭祀の謎を分析すべく、尾張大国霊(おおくにたま)神社の儺追(なおい)祭におけるその祭祀の改変の歴史、さらには花巻・諏訪神社の供養塚をめぐる生贄の物語を、詳しくたどる。

共同体の起源に深くかかわる供犠、それを再現しつつ隠蔽するのが人身御供譚だとする赤坂憲雄の説に導かれつつ、しかしその暴力排除の論理に甘んじることなく、どこまでも、喰う/喰われる関係にこだわりつづける。そこから浮かび上がってくるのは、「犯す神」(祟り神)から「食らう神」への転位、神の「性的奉仕者」から神の「饗応役」への女性の地位の変化、血のしたたる獣から人形をした神饌への生贄の変容であり、さらには、そうした祭の制度化とともに生まれてくる人身御供の語りであり、人身御供祭祀の創出である。言ってみれば、性と食と暴力をめぐる民俗の想像力が錯綜するその場所に照準を定めるのが、六車さんの仕事なのである。

村の娘を犠牲にしたという深い負い目の記憶と、ひとびとが押し込めている度重なる飢饉の記憶。生きてゆくためには何ものかを犠牲にせざるをえないという、生きることにまとわりつく負債。それらが残虐な快楽とほとんど区別がつかなくなるような境位からけして眼を逸らすことのない六車さんの筆致は、ときに「師」である赤坂憲雄や中村生雄への手厳しい批判ともなる。が、それは生贄という血なまぐさいものではなく、ごくごく爽快である。
神、人を喰う書影



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