◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆


〈時〉をつなぐ言葉

受賞スピーチ  第34回(平成24年 2012年)角川源義賞受賞文学部門受賞

牧野陽子





このたびはこのような名誉ある賞を賜り、有難うございました。深く御礼申し上げます。受賞のお知らせをいただきましたときは、本当に思いがけなくて、感激いたしました。

私は、この賞は、日本文学の、それも古典研究の、格式の高い賞として、仰ぎみてまいりましたので、それをまさか、私がいただけるなんて、夢のようでしたし、また、私は子供のころ、8年間、14歳までをアメリカとドイツで育ちましたので、それもあって、感慨深いものがございました。日本の伝統の世界に対して、強く憧れる、だけど、直接その中に入っていくには、気後れというか、遠慮してしまう気持ちが、ありました。

ですから、比較文学を専攻したのは、異文化という視点が介在すれば、日本の何がしかを、捉えることができるのではないかと思ったからです。研究対象はいろいろありましたが、なんといってもラフカディオ・ハーンの作品は、外国人の日本発見の典型で、私も、ハーンの異文化理解能力の柔軟さに、まずは惹かれました。

ですが、次第に、ハーンが日本に見ていたのは、ただ、異文化としての日本ではなくて、もっと根源的な世界だったのではないかと思うようになったわけです。

このたびの再話文学論は、ハーンが、日本の民話伝説のなかに見出した普遍的な意味を、それぞれの作品を通じて明らかにしようとしたものです。ハーンの再話作品には、近代とは何か、という問い、つまり時代の意識が投影されています。ですが、そのことによって、日本古来の自然観や、芸術観が、現代の世界に対して訴える力をもったのだと思いましたし、また、ハーンの再話作品が、たとえば「雪女」や、「耳なし芳一」など、まるで元々から日本にあった話であるかのように、日本に定着したという事実にも、再話のもつ不思議な生命力を感じました。そうした現象に、西洋近代を組み込んでいかざるをえない日本の運命をみることができるとも思いました。

私は、再話とは文学の基本的、本質的な営みではないかと思っています。人々が語り継いできた物語を、自分の言葉で、改めて未来に向けて語ることは、限りある命の人間が、時≠積み重ねてゆき、"永遠"につらなることではないのか、と思うのです。 そして、この意味において、再話という営みは、文学のみならず、人間の様々な文化活動の根幹をなすことなのだと思っています。

この本で扱ったのはハーンの作品ですが、ベースにあるのは、日本の文化、人々が培ってきたものを、いかに受け継いで次の世代へと渡していくか、という思いです。

ハーンが来日して、まず、したのは、お寺めぐりでした。横浜でいろいろなお寺を訪ねています。でも、なぜか、どこでも扉が閉まっていました。拝観できない。そこで、また別のお寺に行くのですが、やはり閉ざされている。ところが、松江へ赴任することになって、山の中の鄙びた村を通ったときのことです。 道端に小さな古い祠があって、見ると、 扉が開かれているのですね。ハーンは、その暗がりのなかにじっと見入ります。これは、「盆踊り」という紀行文の中の、一場面なのですが、この後から、ハーンは日本の民間宗教や民話を、つぎつぎと取り上げていくことになります。  私も、この賞をいただいて、扉がふわっと開かれた、そして、奥に広がる研究の世界でさらに努力することをお認めいただいた、そんな感慨をもちました。

これまでお世話になりました多くの方々に感謝申し上げます。ありがとうございました。


〈時〉をつなぐ言葉書影


◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆

ご意見・ご感想はこちらに・・・。E-mail info@shin-yo-sha.co.jp