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「あの時代」から現代の原点をさぐる――著者のことば

本書は、「1968年」に象徴される「あの時代」、全共闘運動から連合赤軍にいたる若者たちの叛乱を全体的にあつかった、初の研究書である。

 これまで、「あの時代」を語った回想記などは大量に存在したが、あの叛乱が何であったのか、なぜ起こったのか、何をその後に遺したのかを、解明した研究はなかった。その一因は、あの叛乱が当事者たちの真摯さとはアンバランスなほどに、政治運動としては未熟だったためだと思われる。そのためあの叛乱は、当事者の回想記などではやや感傷的に語られる一方、非当事者からは一過性の風俗現象のように描かれがちだった。

 そこで著者はあの叛乱を、政治運動ではなく、一種の表現行為だったとする視点から分析を試みた。すると、さまざまなことが明らかになってきた。

 「あの時代」は、それまで発展途上国であった日本が、高度成長によって先進国に変貌する転換点だった。それまでの政治や教育、思想の枠組みが、まるごと通用しなくなりつつあった時代だった。そしてあの叛乱をになった世代は、幼少期には坊主刈りとオカッパ頭で育ちながら、青年期にはジーンズと長髪姿になっていた。都市や農村の風景も、急速に変貌していた。こうした激しいギャップが、若者たちにいわば強烈なアレルギー反応をひきおこし、それが何らかの表現行為を必要としたのである。

 また当時は、貧困・戦争・飢餓といった途上国型の「近代的不幸」が解決されつつあった一方で、アイデンティティの不安・リアリティの稀薄化・生の実感の喪失といった先進国型の「現代的不幸」が若者を蝕みはじめた日本初の時代だった。摂食障害・自傷行為・不登校といった、80年代以降に注目された問題は、すでに60年代後期には端緒的に発生しつつあったことが、今回の調査でみえてきた。

 そのなかで若者たちは、政治的効果など二の次で、機動隊の楯の前で自分たちの「実存」を確かめるべくゲバ棒をふるい、生の実感を味わう解放区をもとめてバリケードを作った。いわばあの叛乱は、「近代」から「現代」への転換点で、「現代的不幸」に初めて集団的に直面した若者たちが、どう反応し、どう失敗したかの先例となったのである。

本書が2000年代のいま、「あの時代」をとりあげる意義はここにある。「あの時代」の叛乱を、懐古的英雄譚として描くなら現代的意義はない。現代の私たちが直面している不幸に最初に直面した若者たちの叛乱とその失敗から学ぶべきことを学び、彼らの叛乱が現代にまで遺した影響を把握し、現代の私たちの位置を照射すること。本書の目的はそこに尽きる。そこから読者が何らかのものをつかみとってくれるなら、著者にとってこれ以上の幸いはない。

         

著者 小熊英二

1968〈上〉

1968〈下〉


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