営業部員のノートから

営業という仕事をしていて思うこと、感じたことを思いつくままに綴っていきます。
不定期更新予定です。

 

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カルチュラル・スタディーズ関係

大修館書店より2000年1月末『実践カルチュラル・スタディーズ』(暮沢剛巳訳 A5判230頁)予価2300円が発売される予定です。著者はあのスチュアート・ホール氏。ソニーのウォークマンなどについての論考が入っているようです。

大修館書店ホームページ
http://www.taishukan.co.jp/

(99.12.13.)


往来堂書店店主・安藤さんのこと

5年ぐらい前でしょうか、豊島区大塚にある田村書店さんに本の紹介・営業に行きました。応対してくれた方が店長の安藤さんで、その鋭い目つきにビビってしまい、まともに話ができませんでした。今ではやさしい顔していますが、当時は本当に怖かった。「出している商品は良いのだから、キミ、自信もってやんなきゃダメだよ」とアドバイスまでされて、その日は帰りました。今の自分があるのは、このアドバイスのおかげです(笑)文京区千駄木に新しく出店した往来堂書店さんも盛況のようで、あのバイタリティは見習いたいところです。
数年前までインターネットとか電子メールを毛嫌いしていた安藤さんですが、99年10月にHPを開設いたしました。9月に開設したウチのより、アクセスが20倍ぐらい多いのは悔しい限りです。「ネット文脈棚」のアイディアも実現させました。ぜひ一度ご覧下さい。

往来堂書店ホームページ
http://www.ohraido.com/

(99.11.25.)


新刊情報

本来なら「ただいま編集中」の話題ですが、小谷野敦先生の新刊が12月までに1冊、 急きょ出版の運びとなりそうです。テーマは江戸で、「江戸学」批判とのこと。くわしい内容はまた。

(99.11.2.)



第9回 神保町ブックフェスティバル雑感

神田神保町はスキー用品を買い求めるお客さんが多くなり、「書店の街」として、それはどうも面白くないということで、こうしたお祭りを企画したと聞きました。この催しのために、すずらん通り・さくら通りという道路を2日間通行止めにするというのはとにかく大変なことで、実行委員の書店、古書店、出版社、商店街のみなさんの熱意・情熱がなした企画です。神保町で営業している出版社として、今後とも参加していきたいと思っています。
話は変わりますが、ここ数年食べ物屋さんが出店していて、このお祭りのもう一つの顔になっています。今回のお気に入りは「玉こんにゃく」で、3串も食べてしまった。タンドリーチキンも食べたかったのですが、手が汚れるので泣く泣く我慢しました。(中)

(99.11.1.)

photo by S.Nakayama



第9回 神保町ブックフェスティバル

 

今年で第9回となった、神保町ブックフェスティバル。新刊企画、在庫僅少本、本の得々市など、114社の出版社が参加する一大イベントです。すずらん通りの中華料理三幸園の前あたりに小社も出店いたします。HPで知ったという方には粗品進呈いたします。

会場 神保町すずらん通り・さくら通り、小学館前広場では子どもの本セールなど

イベントスケジュール(両日とも雨天中止)
10月30日(土)
10:30から     明治大学応援團オープニングパレード(すずらん通り&さくら通り)
12:00から13:00 人気作家サイン会(たれぱんだの末政ひかる氏・イベント会)
13:30から14:30 フィールコミックスじゃんけん大会(祥伝社ワゴン横)
14:00から15:30 古本チャリティーオークション(イベント会場)

10月31日(日)
10:00から    デキシージャズバンド・パレード(すずらん通り&さくら通り)
11:00から11:30 デキシージャズ演奏第1回 (イベント会場)
12:30から13:30 デキシージャズ演奏第2回 (イベント会場)
14:00から15:30 古本チャリティーオークション(イベント会場)
16:00から17:00 人気作家サイン会(イベント会場)

※第40回神田古本まつりは10月29日(金)から11月3日(水)まで開催しております。

(99.10.26.)



小フェア「認知科学への招待(仮)」のご案内


10月末より芳林堂書店高田馬場店にてフェア「認知科学への招待(仮)」を開催します。 産業図書さんの新刊『プランと状況的行為』(サッチマン著、産業図書、99.10末刊、ISBN4-7828-0126-2)メインに各社5点ずつぐらいの小さいフェアですが、面白くなると思います。出品商品はまだ未定です。
小社E.S.リード著/佐々木正人監訳 『アフォーダンスの心理学』(仮題)四六判上製も出る予定でしたが、まだ発売未定です。

(99.10.18.)


東海村原発事故によせて

1999年9月30日(木)「ジェーシーオー」東海村事業所で起こった放射能漏れ事故は、一夜明けた1日、まだ予断を許さない状況が続いているようだ。深夜NHKの特別番組をみながら、「屋内退避」の勧告を受けた住民の方々のことや、事故現場で作業をしていて、被ばくした作業員の方々のことを思った。地下鉄サリン事件のとき、車内にこぼれたサリンを、おそらく危険だと知っていながら片づけようとしてなくなった人がいたけれども、それと同じことが事業所のなかでもおこっているかもしれない。父子と思われるスーツ姿の二人の会話で、「東海村、深刻だね」という父親の問いかけに、「何人死んだの?」という無関心な息子の応対に、事故の大小を死者の数でしかはかれない感性をみて、怒りながら昼食をとった

小社関連書
『脱原子力社会の選択』(長谷川公一著、本体2800円、96年7月10日発行)
『ワードマップ ヒューマン・エラー』(海保博之・田辺文也著、本体1900円、96年10月25日発行)

(99.10.01.)


『カルチュラルスタディーズのブーム?』

99年9月4日(土)朝日新聞掲載記事「「文化とは」問う研究とは--ブームと言われ、本の出版も相次ぐカルチュラルスタディーズ」 (構成 山脇文子さん)は、カルチュラル・スタディーズのブームの意味、その可能性を4人の識者(姜尚中さん、椎名美智さん、大月隆寛さん、武田徹さん)に聞くという特集でした。以下記事より、引用させていただきます。

姜尚中さん (政治学者)
文化の概念をかなり変えました。政治的にイノセントな領域としてでなく、民族性や性、サバルタン(非抑圧者)など、社会を構成する人々の差異に関する政治的な仕掛けが現れる場として文化をとらえる。それこそがカルチュラルスタディーズの眼目です。既存の学問の領域を自由に横断し、越境的な知として読み解く方法を考えてきた。そこに現代的な意味がある。課題はあります。文化のミクロな問題を冷戦以後のマクロな世界システムの変容とどうつないでいくか。これまで民族学や歴史学や社会学の領域でなされてきた、問題意識や方法において通底する知の蓄積を掘り起こす必要もある。アカデミズムからメディアや学校など現場で働く人へ広がっていかなければ、知的な流行で終わるおそれもある。カルチュラル・スタディーズはあくまで生成途上のもので、閉ざされた完成品ではない。これをまるで知のシステムであるかのようにイメージして批判している人もいるのではないでしょうか

椎名美智さん (言語学者)
文学、社会学、歴史学、人類学など、それぞれに違うことをやってきた研究者が、共通の問題意識をもってつながり、多声的な言説を作り上げる良い契機だと思います。自分の専門でいえば、「言語論的転回」、つまり言語は、実は透明な媒体などではなく、なんらかの政治性を帯びて書かれてきたのだという視点でテクストを読み直すことから始まりました。あるテクストがどういう文脈で書かれ、どういう効果を持っていたか。同時に、自分が書くテクストが同じようにパフォーマティブな役割を果たすことを意識せざるをえなくなる。大学やアカデミズムの体制にとっては既得権をつき崩す危うい存在にもなりうる。一過性のブームだと言う人もいますが、私にとってのカルチュラルスタディーズは、研究者の意識のありようだと思っています。知る前の状態には戻れない。だから、この言葉がすたれるとしたら、逆に深く浸透していった時なのではないでしょうか。

大月隆寛さん (民俗学者)
なつかしのポストモダン以降、どんどん縮小し続ける「思想」系出版市場の苦しまぎれの商売アイテムって感じですね。「J文学」なんかと同じ、頭でっかちの編集者と流行に弱い書店とがつるんでしかけたブームです。・・・・・・カルチュラルスタディーズ本来の可能性を本気で考えるならば、大学の教養部再編その他で混乱している日本の人文・社会科学の経緯と現状を徹底的に相対化することから始めないといけないはずです・・・・・・「文化」を<いま・ここ>のものとして語る作法自体を日本語の内側から再編する野蛮な根性もないままでは我々の歴史も社会ももうリアルに語れないんだ、ってことをまず謙虚に認識しないと、学者と知的おたくの狭くてクラい世間で消費されて終わりでしょうね。

武田徹さん (評論家)
方法として特に新しいものではない。まじめな文化史、社会史の研究者はカルチュラルスタディーズという言葉が使われる前から、既存の一つの歴史観、文化イメージに縛られず、文化が生成されるシステムそのものに考えを及ばせようとしていたはず。その意味で良質な研究はみな昔からカルチュラルスタディーズ的だったともいえる。それが、今なぜ注目されているかといえば、左翼陣営の衰弱状況に一石を投じたい気持ちがあるのでは。国家主義、原理主義の台頭に対抗するものものとして、文化を相対化するカルチュラルスタディーズの視点に期待がかけられており、研究者が自らレッテルをはってそのラジカルな研究姿勢の重要性を際だたせようとしているのではないか。気持ちはわかるが、一つの学派としての党派制があまり強調されると、せっかく縛りから離れた研究の自在性、イキの良さを殺しかねない。今後広がりをもつかどうかは、質のいい仕事をどれだけ出していけるかにかかっている。

以上 99年9月4日(土)朝日新聞掲載記事(構成 山脇文子さん)よりの引用です。

『カルチュラルスタディーズの対話』など出版している小社営業としては、カルチュラル・スタディーズという枠組みなりものの見方が、 ブームなり「商売アイテム」というほど広がってくれればどれだけうれしいことか。 ただ単に消費に終わるかどうかは読者に委ねていいところだと思うのですが。(中山)

(99.09.27.)


『ことば 始まりと進化の謎を解く』

『ことば 始まりと進化の謎を解く』(ジーン・エイチソン著、本体3800円)が、99年9月19日(日)朝日新聞、読書欄「気になる本」にてとりあげられています。「人類学、言語学、動物行動学、大脳生理学などの発展とともに1970年代後半から科学的探求が進められている」として他に『ことばの起源』(ロビン・ダンバー著、青土社刊)、『ことばの進化論』(デレック・ビッカード著、勁草書房刊)、『ヒトはなぜことばを使えるか』(山鳥 重著、講談社現代新書) が紹介されています。

(99.09.20.)


「書評記事から・・・」

99年9月1日(水)朝日新聞夕刊「単眼 複眼」欄 グレアム・ターナー『カルチュラルスタディーズ入門』(作品社)、『カルチュラル・スタディーズとの対話』(小社)、リン・チュン『イギリスのニューレフト』(彩流社)と、相次いでカルチュラル・スタディーズ関連書が刊行されたことによせて「カルチュラル・スタディーズに、日本の大学と学問を実質的に変える気概があるのだろうか」との筆者の問いかけが掲載されています。 ブームに終わるのでは、という危機感が読みとれました。

(99.09.03.)


「ベストセラー1歩手前-1」

『化学装置としての脳と心−−リセプターと精神変容物質』
R.M.レスタック著/半田智久訳 336頁・本体価格2900円 95年10月刊  

これは売れるぞと思って一生懸命販促したけれども売れない、あまり期待していなかった書籍がたいそう売れたり。とかく出版営業(に限らないでしょうが)はままならないけれど、私にとって前者の「思ったより売れなかった本」 のほうが思いが深いです。  

小社刊『化学装置としての脳と心』、たいする売上目標は同時期に出版された大ベストセラー『脳内革命』。そのころニューズウィークの日本版で、人体に影響なく、気分を変えることができるドラッグが、どこでも普通に買える時代がそこまできているという記事がでてました。そんな薬を用いてたとえばあなたの隣の同僚がみるみる営業成績を伸ばしていったら、普通の人はその薬の誘惑に耐えられないのではといった記者の疑問にこたえて、「怒りとか哀しみ、落ち込みといった感情は、人間の脳の発達に欠かせない要素」として、過剰な薬物依存には問題があるといったレスタック氏のコメントをのせた記事でした。小さなコトにくよくよする必要もあるといったところでしょうか。  

こんな記事を追い風に販促につとめましたが、いま現在で300万歩ぐらい手前。じつに悔しい。

(1999.8.30.)


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